自分の妻に虐待されている男性
子どもの性的虐待について|概観:虐待か否かの境界線
September 24, 2002虐待か否かの境界線
人権意識の有無だと私は考えています。
すべての暴力は人権侵害です。子どもに対して大人がふるう暴力を一般に虐待といいます。
以前、どこからセクハラになるのか分からない男性への答えとして「自分の娘や妻が、職場でされていたら、父として、夫として、嫌なことは、他人の娘や妻である人にしないように。それはセクハラです。」
というものがあって、なるほどとそのときは思ったのですが、実はこれは根本的な部分が抜けているのです。
(何がセクハラか分からないような人にとって、)なぜ「父として、夫として」嫌かといえば、娘や妻は自分の「所有物」だから、手を出されるのが嫌な場合がほとんどだからです。
子どもを自分のものと考えてしまう人は、愛情表現という美しい言葉で虐待をなさいます。「娘よ」を結婚式で泣きながら歌う方の中に、絶対そういう人がいるでしょう。
お父さんのお嫁さんになると言われて、「本気で」喜んでいる男性は、虐待予備軍です。会社の若い女性にセクハラする日が近いかもしれません。
性的虐待の中には、他人に対してすれば、大人に対してすれば、誰でもセクハラだと分かるものがあります。
大人同士でやってはいけないことは、子どもに対してもしてはいけないことです。
男の子にはしないのに、女の子には女の子だから、とすることは性的虐待です。
男の子にはさせないのに、女の子に女の子だから、とさせることは性的虐待です。
逆も同じです。ただし、この場合はセクシュアル・ハラスメントというよりは、ジェンダー・ハラスメントと言った方が適切かもしれません。
子ども同士で許されないことは、大人と子どもの間でも許されません。
例えば同級生にパンツを下ろされたり、胸が大きいとはやし立てられたり、容姿についてとやかく言われたり、馬鹿にされたことはありませんか。いじめと言われていることを大人が子どもに対してすれば、虐待です。
いじめられていても、いじめられているのではなくて、遊んでもらっているんだと自分に言い聞かせていたいじめられっ子がいます。
虐待されていても、虐待されているのではなくて、かわいがられているんだと自分に言い聞かせている子どもはいます。
例えば、一緒に風呂に入るのはどうか。
一人でまだ自分の体が洗えないなら手伝いが必要ですよね。
でも、一人で自分の体が洗えるようになったら、そこまで面倒を見なくてもよくなります。
一人でお風呂に入れるのが危険なら、一緒に入った方が安心ですよね。
でも、何歳まで一緒に入るつもりですか。子どもがいくつになったら大人は安心できるでしょう。
一つの基準としては子どもが親と一緒に風呂に入っていることを他人に言えなくなったら、やめてあげてください。あなた自身が一人で入りたいといえば済むことです。
虐待する側が、性的なことを性的でないところからはじめて結果的に性的虐待をすることがあります。
例えば、マッサージや、お風呂で身体を洗い合うことも、写真をとることも、普通にやっているうちに「何となく」過剰になったり性的な意味合いを持ってきたしても、そのとき子どもが「何となく」変だなと思っても、どちらも何も言わないまま、言えないまま続けられることがあります。
また、虐待する側が確信犯的に徐々に性的な接触へと誘導していく場合もあります。例えば、性教育や身体を清潔にするためと言って、あるいは子どもに「大人」の付き合いを奨励するといった方法を使うことがあります。
はじめは故意でなかったとしても、やめるのは虐待する側、大人の責任です。
子どもは「いい子」とは限りません。
ここで、強姦は、その犠牲者を取るか虐待される子どもは純真無垢ではないかもしれません。
積極的に性的接触を求めてくるかもしれません。注目されたくて、お菓子が欲しくて、ひいきめに見られたくて、かわいいといって欲しくて、快感が欲しくて、お金が欲しくて、何かを買って欲しくて。
それでも大人自身が、子どもとの関係ではいつも相対的に強者ということを意識している必要があります。子どもと、性的な関係を結ぶことは不可能なことを知っておくべきです。
この年齢になれば大人でそれ以前は子どもだからと一概に線引きすることは難しいですが、少なくとも12歳以前は子どもだという社会的な合意があると私は考えます。
年齢差はそのまま力関係を生み出します。子ども間であっても、一般には一方の子どもが幼ければ幼いほど、年齢差があればあるほど、力の差は大きくなります。
法律上は大人になる以前であっても、年長の子どもの人権意識は問われます。
年齢差以上に、親子関係や師弟関係(教師と生徒・児童)が上下関係であることは明らかです。労使関係がセクハラを生み出してしまうように、大人と子どもには力の差が歴然とあるから、大人は虐待を起こしてしまうともいえます。
同様に、医師と患者の関係、介護者と介護される側の関係など、人権侵害が起こった時に表面化しづらい関係が複合的に存在することがあります。
また、社会的に女性は男性より低い地位にあります。男女間の社会的な格差が女性の持つ人権を軽視する傾向を生んでおり、子どもに対する性的虐待においてもその傾向は顕著です。
こういった隠された上下関係も、子どもの性的虐待を発見・阻止できる立場にある人は、注意する必要があります。
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