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するとで検索した結果、109件ヒットしました*JTA関係のセミナー情報です。申し込み・お問い合わせは各主催にご連絡ください。
福島原発事故の影響で、福島の子どもたちは外での活動は禁止され、室内に いることが強制されています。こうした中で、この計画では、今年の夏休みを迎える子どもたちに「室内避難」を押し付ける形ではなく、 この機会を生かして、子どもたちの学びと育ちを支援する教育事業を実施し、多様な体験や人とのコミュニケーションを作り出して行くこ とを目的としています。
福島の子どもたちに伸び伸びした時間を過ごしてもらい、せめて夏休みは、 なんの心配もなく、思いきり「子どもをやってもらう」ことが我々の願いです。
そのため、この事業計画に参加を希望する家庭の子どもたち(小学生・中学 生)を対象に参加費は往復の交通費分の3万円のみとし(生活保護家庭は全額無償)、第一次引き受けを200名として募集に入り、希望 者が多い場合は追加募集を行ってまいります。
障害のある児童については保護者の同伴を原則とし、兄弟関係で幼児の場合 も参加を認めますが、その場合も保護者が同伴することを原則とします。なお、保護者の参加費用は交通費相当分としての3万円と滞在費 (1日4千円)が必要ですが、長期にわたる滞在になる場合など、保護者の費用については相談に応じます。
このプログラムは福島の原発問題が長期化することも予想されますので、次 世代の子ども達を守る考えのもと、継続的な運営と事業実施を計画しております。そのため、本計画の実施に当たっては趣旨に賛同する NPOで実行委員会を結成し、本事業のすべてを運営するとともに、受け入れには北海道・地元自治体の協力を得てプログラムを運営しま す。
詳細はこちら→
更新日:2011.06.04
*JTA関係のセミナー情報です。申し込み・お問い合わせは各主催にご連絡ください。
インテグラル・コーチングは、統合的な枠組みにもとづいて、人間の能力を効果的に開発するための方法です。インテグラル・コーチングには多様な要素がふくまれますが、その重要な基盤となるのが「ビジョン・ロジック」といわれる発想法(思考法)です。今日の複雑化する世界の中でわれわれが経験することになる課題や問題を真に効果的に解決していくためには、不可欠のものとなります。
危機や困難のただなかにあるクライアントを支援するにあたって、とりわけ重要となるのは、クライアントが生まれながらに備えている知性や能力を活性化することです。ビジョン・ロジック思考は、こうした知性や能力を見極めて、それらを総合的に活用していくことを可能としてくれます。今回のワークショップでは、クライアントの生得的な能力を活性化するための基礎的な能力を習得することに焦点を絞ります。
こんな方に最適
- コーチ、セラピスト、コンサルタント、教師として、生徒やクライアントの成長を支援する活動に従事している方
- コーチ、セラピスト、コンサルタント、教師として、これまでに習得してきた技法や技術を体系的に整理したい方
- 組織や家庭において、多様な年齢や性格の関係者との共同作業に従事している方
- インテグラル理論を実際の生活と仕事の現場で効果的に活用していきたい方
- インテグラル・ライフ・プラクティス(ILP)を自己成長のためだけでなく、人間関係の領域を含めたものに拡張させていきたい方
当講座への参加で習得可能なこと
- 「四領域」を実践的に活用するための基礎的な方法
- 「四領域」の特定領域を絶対化するときに発生する諸問題の診断法(各領域に特徴的な課題と病理の把握)
- クライアントの課題や問題を総合的に把握して、それらに対処するために必要とされる統合的な対応策を創出するための方法
- 「対極性管理」の基礎
講座の内容
第1回:6月19日(日) – ビジョン・ロジックとは?
思想家のケン・ウィルバーによれば、ビジョン・ロジックとは、統合的な発想と斬新なビジョンにより特徴づけられる意識構造であるといいます。それは、多様な視点を共感的に把握して、それらが相い補い合う形で共存することのできる枠組みを構築することのできる意識であるというのです。しかし、具体的には、これはどのようなことを意味するのでしょうか? また、実際の実務や臨床の現場に置いては、これは具体的にどのような「型」を実践することを意味するのでしょうか? 第1回では、ビジョン・ロジック思考を実践するための基本的な方法を習得します。
第2回:7月18日(月祝) – 特定領域の絶対化
ビジョン・ロジック思考の習得を困難にする代表的な障壁は、「特定領域の絶対化」("quadrant absolutism")といわれるものです。これは、限定的な視点や領域を絶対化して、それを「万能薬」として課題や問題の解決に適用してしまうことを意味します。今日において、多様な方法を包括的に利用する「折衷主義」が提唱されていますが、往々にして、そうしたアプローチは、現実を構成する基本的な側面や要素に対する認識をもたないために、全体を真に網羅することができません。その意味では、真に統合的な問題解決を実現するためには、今日のわれわれの思考に浸透している「特定領域の絶対化」を的確に診断・克服する必要があります。第2回では、そのための基本的な方法を習得します。
第3回:8月21日(日) – 対極性の管理
ビジョン・ロジック思考の最大の特徴は、対極的なものを相補的なものとして関係づける、その独特の思考法にあります。「個人と集合」「内面と外面」等、対極的なものを――そこに生まれる緊張を許容しながら――対極的なものとして維持することで全体性を維持しようとするのです。こうした思考は、今日の複雑化する世界の中で様々な課題と直面しているクライアントを援助するうえで、コーチやセラピストにとり、必須のものとなります。第3回では、ビジョン・ロジック思考を特徴づけるこのダイナミックな思考法の基本を習得します。
この講座は、インテグラル理論を実際の人間関係や業務環境の中で活用していくための実践的な方法を習得するためのものです。従いまして、参加者の方々には、事前にインテグラル理論の基礎を習得していただいていることが重要となります。また、その実践的な性格上、参加者の方々には、講座で習得したいただいた知識や技法を倫理的に利用していただくことが重要となります。
■参考図書
■参加費
全3回45,000円
■会場
アトリエ・イフ・シーエーティー
〒158-0083
東京都世田谷区奥沢6-32-9 ローズコート自由が丘2-A
(東急東横線・大井町線 自由が丘駅徒歩5分)
アクセスマップ:
■時間
13:30~17:00
■定員
12人
※定員に到達次第締め切ります。なるべく事前にお申込み下さい。
お申込はこちらから:
講師プロフィール
鈴木 規夫Ph. D.(インテグラル・ジャパン代表取締役)
人間の心理的発達と能力開発の領域において10年以上にわたり研究と実践に取り組んでいる。企業組織における人材育成を主要な活動としており、主に発達段階の測定、リーダーシップ・パイプラインの構築、及び、エグゼクティブ・コーチングとリーダーシップ・トレーニングを担当している。
2004年にCalifornia Institute of Integral Studies(CIIS)で博士課程を修了。専門は、東洋と西洋の心理学(East-West psychology)。日本に帰国後、アメリカの現代思想家ケン・ウィルバーのインテグラル思想の普及のための活動を展開している。 2005年より、個人の統合的成長を目的とする実践のプログラム(Integral Life Practice)、及び、組織文化の統合的変容のプログラム(Culture of Leadership Program)というインテグラル思想を基盤としたプログラムの実施に中心メンバーとして参加している。また、ケン・ウィルバーの主催するインテグラル・インスティトュート( Advisory Board の一員として参加している。
主催:インテグラル・ジャパン
URL:
連絡先:
更新日:2011.05.07
震災以来、民放のTVニュースを見ていて、時々、どうしようもない違和感を覚える時があります。
例えば、被災者がスケッチブックに「〇〇を探しています」と書いて、「▽▽町の△△です。私達は、元気です」とカメラに向かって言う、朝の番組の一コーナーがあります。あのコーナーでインタビューを受けている被災者の方々の中には、非常に戸惑った表情をされている方がおられます。
おそらく、そうした戸惑った表情をされている方々は、本来の気持ちと違うことを語っているのでしょう。
TV局の「災害を受けて、なにもかも失っても、けなげに生きる被災者たち」というストーリーを演じさせられているのだろうと想像します。本当は、やりきれなさや、怒りや、絶望があるだろうに、なんとなく、マイクを向けられたら、TV局が求めるような人物を演じざるを得ない状況になってしまっているのではないかと想像します。
この状況は、「私達は、被災者のみなさまのために取材しています」という空気から生まれるのではないかと思います。「あなたのために・・」という空気には、なかなか逆らえないものだからです。
こうした取材は、被災者を二重に苦しめることになるかと思います。
ただ、全ての取材が、こうしたものではないとも思っています。
例えば、「自分だけが生き残ってしまった」という罪悪感を持っている被災者が、レポーターに向かって「私達は、流されていく人をどうすることもできなかったんです」と泣きながら語っていた場面を見ましたが、この場合は、自分たちの罪悪感を語ることによって、乗り越える一歩をふみだすことができた例なのではないかと思います。まあ、これは、報道陣と被災者の間だけに起こるのではなく、ボランティア、自衛隊、消防などのサポートする側と被災者との間には、いつでも起こり得ることですが・・。
僕は、メディアの取材だけではなく、メンタル面のケアの際にも、「あなたのために・・」というメッセージを発する場合には、細心の注意が必要だと思います。被災者中心に見えて、被災者をコントロールしてしいまうことがあるからです。
今、一番大切なのは、被災者中心的な考え方です。被災者の方が、求めているものを丁寧にひろいだしてケアするとともに、彼らが望まないことはやらないということです。
考えてばかりで行動しないというのもいけませんが、ケアを押し付けてもいけません。この辺は、ケアする側が、被災者の方々と、いかに共感的なコミュニケーションをするかにかかっているのではないかと思います。
向後善之
日本トランスパーソナル学会 常任理事 事務局長
ハートコンシェルジュ カウンセラー
更新日:2011.04.02
特別寄稿
最近のトランスパーソナル心理学研究所での体験
田尻 宇成
(本学会常任理事)
皆様初めまして。私は2008年の末に、トランスパーソナル心理学研究所(Institute of Transpersonal Psychology 以下ITP)の大学院を卒業、トランスパーソナル心理学博士をとり、論文を終えました。最近少し余裕がでてきましたので、JTAのお手伝いさせていただけたらと思います。この記事では、ITPのこととプロジェクティブ・ドリームワーク・ワークショプの宣伝をさせていただきたいとおもいます。
最近、ITP創設者のロバート・フレイジャー博士に改めてITPのことを聞く機会がありました。フレイジャー博士は、慶応大学に留学し、その経験をハーバード大の博士論文にした人物です。日本滞在時に、創始者の植芝 盛平に直接合気道を習ったのです。現在はアメリカでは数少ない7段をもっています。何故、合気道を大学院で教えるようにしたのかというと、合気道の神秘思想が ITPの理想に近いと考えたようです。つまり、トランスパーソナル学の一つの流れとして、ボディーワークからくるスピリチャリティーの探求、そして、特に合気道の影響があることは、否めません。
そのフレイジャー博士によると、今のITPは昔と違い、学問の質を高めようと力をいれているのだそうです。その方向性からか、ITPでは、オーガニック・インクワイヤリーとインテグラル・インクワイヤリーという2つの質的研究法が開発されて、これから更に活躍しそうな感じです。ところで、ITPは実はハーパードの博士課程をモデルにして作ったのだということが、このインタビューでわかっています。また、創設時から変わらないことは、個人のトランスフォメーション(変容)を、教授も生徒も信じなければいけないという学風だそうです。そうでない教授や生徒はふさわしくないので、辞めさせられることもあります。また、創設者や関係者の視点によると、合気道は、人間関係においてのトランスフォメーションを支える道具 や英知を秘めているということです。徹底的な個人主義をつらぬくアメリカで、他人を扱う為の知識や英知が、体の動きのなかに象徴されているように思えるのでしょう。
ITPでは、現在、博士課程では、臨床心理学とトランスパーソナル心理学博士という2つの学位を与えています。学生が若年化しつつあり、職を身につけることが先行することが多いことから、臨床心理の学位を設置しています。昔はマズロー理論的な発想から、第2の人生を歩もうとする40代以上の学生だけを意識して入学させていたようです。ある程度基本的な生活基盤、つまり、物質的な基盤ができていて、次の段階を目指すための学習という意味あいが強かったようです。現在のトランスパーソナル心理学博士の学位は、こういったタイプの学生にアピールするものだとおもいます。教育内容は、臨床全般の知識を学んだあと、臨床という職業に縛られないで、トランスパーソナル心理学の教育、手法、ツールなどを学び、それを実 践するのです。クリエイティブ・エクスプレッション、トランスパーソナル教育、スピリチャル・ガイダンスという専門分野をもつことができます。私の場合はスピリチャル・ガイダンスという分野が専門です。
スピリチャル・ガイダンスは、臨床と違い、クライエントと個人の立場は対等です。カウンセリング的な要素は臨床とはほとんど変わりませんが、スピリットが誰にも存在するという前提やスピリットをより重視してカウンセリングが進められていきます。精神性の悩みを扱いますが、間接的に治療効果も視野にいれています。スタンフォード大には、スピリチュアル・ケアをするグループがありますが、それはあくまで信仰を持つ宣教師、グルたちやその使徒、弟子たちが、その流派に属する人々たちに対し、医療現場で直面する苦しみの中で、精神的に支えられるようにすることです。しかし、スピリチャル・ガイダンスは、信仰や信念体系に対する悩みや不信なども扱います。手法の基本は、現在のところ、メディテーション、� ��リームワーク、サイコシンセシス、詩、そして、ユング派のアプローチなどです。また、先ほどのサイコマンティウムも一つのアプローチであり、私の論文はそれに関するものです。人によっては、キャロリン・メイズの理論なども参照することもあります。クライエントとの間で焦点になることのひとつは、重要な決断をする時に、その人の持つスピリチャリティーのルールにどれほど則して判断を行っているかということです。
ITPで気づいたことは、トランスパーソナルという学問は、実は日本発の人間に対する思想に支えられているか、もしくは、密接な関係にあるということです。また現在、合気道の思想と、それが臨床の現場やあるいは自己成長のワークの現場にどのように関連しているかを理解しようという試みがフレイジャー博士など、トランスパーソナル心理学者でなされていることは、私の心の支えになった気がします。そこからすると、日本人の考え方がトランスパーソナル学へ間接的にも貢献していることを私たちは誇りにしてもいいのではないかと思います。
ところで、日本のトランスパーソナル学会に所属している方は、ITPの学生よりもトランスパーソナルに関することをご存知ではないかと察します。それは私たちの歴史に配慮をする意識から来る強みではないかと思います。ITPでは、残念ながら、そういった歴史的な検証をすることはありませんでした。もちろん、それは、どちらかというと、歴史家や社会学の専門なのですが、学問に対する共通認識がないことから、いつでもトランスパーソナルとは何かということから始めなければならないことが、少し苦痛でした。
そういう意味で、トランスパーソナルという学問は、日本の学会で学会員が共通認識をより深めることで、発展する可能性があるのではないかと察します。さらなる発展を心に描きながら、これから学会に貢献できたらとおもいます。
田尻 宇成 (たじり たかなり)
トランスパーソナル心理学博士(Ph.D.)。スピリチャル・ガイダンスというITPの認証を受ける。トランスパーソナル研究開発と応用を目的とするプロジェクト・トランスパーソナル主宰。サイコシンセシス、サイコドラマ、プロジェクティブ・ドリームワーク、サイコマンティウム、ヒプノシス、マインドフルネス・メディテーション等を利用しながら、セミナーや個人セッションをします。留学相談も個人的にします。上智大文学部心理学科出身、他にもコミュニケーション(映像制作)の勉強をしたことがあります。カナダ人の妻と2歳の息子と東京在住。魚座。エキナセアとカモミール栽培中。
告知
→このセミナーは中止となりました。
一対一の個人セラピーに限界を感じているセラピストの方、3日間でクライエントにもセラピストにも、簡単、安心、そして、夢の意味を深く掘り下げられるユング心理学の流れを組むプロジェクティブ・ドリーム・グループ・ワークを学びませんか?
トランスパーソナル学会2010年大会で発表したプロジェクティブ・ドリームワークの開発者、ジェレミー・テイラー博士が、7月15日、16日、17日に、東京近辺でセミナー・ワークショップを開催することになりました。
プロジェクティブ・ドリームワークのメリットとは何でしょうか? ひとつは、それがグループ・ワークであることです。例えば、個人のクライエントを相手にしていると、クライエントが同じ話をくりかえしたり、セラピストに依存をしたりします。そして、セラピスト自身も疲れてきて、どのように対応していいのかがわからなくなることになり、そこで、燃え尽き症候を引き起こします。この悩みを解決するひとつの方法がグループ・ワークだといえます。グループ・ワークでは、クライエントが他のクライエントと考え方や意見を分かち合うことで、他の人との共感が得られます。そして、話をしたクライエントは心の余裕がでてきて、安心して自分を受け止められる可能性が高まります。彼らは体験をシェアすることで、自尊心を高めたり、自信を回復したりすることにもつながる可能性もでてき� ��す。さらに、ドリームワークですので、夢を共有することで、より夢に関する知識、象徴に対する理解、夢を扱う時の英知を深めることができます。また、セラピストは、それをファシリテートするだけでいいのですから、燃え尽きなくてもいいのです。個人のセラピストでは、時間がないために限界になりうる象徴の知識なども深まります。ジェレミー・テイラー博士が研究してきたシンボルの内容はとても濃いものです。このセミナーを受けると、そういった意味で、シンボルを学習する手間が省けます。セラピストの相互支援の場にもなるので、情報交換も可能になります。ただし、他のクライエント中心的心理学グループワークでさえ、参加者のクライエントが心理的に傷つく可能性も秘めています。しかし、このプロジェクテ� �ブ・ドリームワークは、20年間以上の歴史から、クライエントが傷つくことがないことがわかっています。ぜひご参加ください。テーマ、場所、価格はまだ未定ですが、詳細については、dreamworkjp.comに掲載いたしますので、ご確認ください。最後になりましたが、参加者にはジェレミーの著書『ドリームワーク』の訳本を差し上げます。
→このセミナーは中止となりました。
更新日:2011.04.01
不安になった時、落ち着くための最大のコツは、自分の呼吸に注意を向けることです。今回のような災害が起こると、恐怖反応により、呼吸が速く、浅くなりがちです。こうした恐怖反応が起こると、柔軟な考えができなくなり、デマに翻弄されてしまうこともあります。
次に、落ち着くための具体的な方法をお伝えします。
1)少しゆっくりとしたやや深い呼吸をするように心がけます。
2)次に自分の足がしっかりと地面についているところを意識します。恐怖にさらされているときには、上半身特に横隔膜より上のあたりに神経が集中し、肩や首が硬直します。逆に下半身には、力が入っていないものです。ですから、足が地面についているところを意識すると落ち着きます。
3)呼吸が落ち着いたら、気が上から下に流れていくようなイメージを浮かべます。足に向かって気が流れるようなイメージを持つとよいでしょう。こうすると、しだいに下半身にも感覚が戻ってきます。
4)身体全体が意識できるようになったら、まわりをただ眺めてみましょう。顔を上げて眺めてみると、いつもと同じ光景が展開しているかもしれません。不安におびえている人がいても、どこか客観的に見えるかもしれません。そうなったら、もう落ち着いているので、柔軟な考えもできるようになります。災害時などの危機的な状況下では、柔軟な考え方ができることが、サバイバルの最大のキーになります。
災害が起こった後、さまざまな情報が飛び交います。これが、新たなストレス因子になります。
そんな状況で落ち着くためには、入ってくる情報を仕分けするのがいいでしょう。
のべつまくなしにテレビやネットを見るのではなく、見る番組やホームページなどの情報リソースを決めておくのがよいでしょう。
不安が強い場合、あまりに煽情的な番組、激しい論争(しかも精神論)のある番組は避ける方がよいでしょうね。
災害が起こると、TVやネットなどに、さまざまな「専門家」が登場します。しかし、あまりにいろいろな意見が多すぎて、どの情報を信じてよいのかわからなくなっている人も多いと思います。
このような場合、何人かの信頼できる専門家を選び、その人達の話だけを信頼するのがよいでしょう。
信頼できる専門家は直感で選んでください。
基本的には、早口でまくしたてる人は避けましょう。そうした焦燥感を持った専門家は、時には正しいことを言うかもしれませんが、不測の事態で、自説に固執し、判断を誤ることがあります。ゆっくりと落ち着いて話す人の方が、信頼できます。
また、「わからない」という発言をする人は、実は信頼できる場合が少なくないと言うことを知っておきましょう。こうした危機的な状態の時、データが少なくてわからないことがらを、あたかもわかっているように述べることは、人々の不安を掻き立てるだけです。
自分自身も激しい論争に巻き込まれないようにすることが大切です。論争になりそうだったら、「今はその気分ではない」ということを、はっきりと述べることです。
できるだけゆっくり話す人、断定的な物言いをしない人、人をむやみにジャッジしない人とお話しされるのが、落ち着くためにはよいかと思います。
自分なりに最悪のケースを設定しておくことが必要です。
最悪のケースに進んだら、どう行動するかを決めておくことです。
この場合の最悪のケースとは、現実的な客観的な情報やデータの下考えられる最悪のケースのことです。それが自分で判断できないような場合には、自分で選別した「信頼できる専門家」の主張する最悪のケースを信頼し、それが起きた場合、どう行動するかを決めておくことです。
向後善之
日本トランスパーソナル学会 常任理事 事務局長
ハートコンシェルジュ カウンセラー
更新日:2011.03.27
緊急メッセージ 震災・トラウマにかかわって、今、必要なこと
4月23日24日 「自分創造」ワークショップ開催迫る!
みなさん こんにちは
諸富です。
私もそうですが、東日本大震災によって身の震えるような思いで日々を過ごされている方も少なくないことと思います。
しかし、今、このような時こそ、私たちが学んできたことを大切にしていくべき時です。「今・ここ」で起きていることへの気づき(アウエアネス)を生かしてほしいのです。それが自分自身を保ち、そしてほかの方の気持ちを支えていくうえでも役に立つからです。
では、どのようにして?
①まず、ご自分の体験されていることを、信頼できる人と言葉にして分かち合ってください。
「みんなも不安なんだ。だから私も我慢しよう」・・・これが一番よくありません。
友人でも、親子で、恋人でも、もちろん夫婦でも・・・・自分が体験されている気持ちを、抑え込んだりせずに、安心できる方と言葉にして分かち合ってください。
「つらいね」「不安だね」お互いに気持ちを言葉にして分かち合っていきましょう。
②自分の体験されている、不安、おびえ、悲しみなどを文章や絵で表現されてみてください。
ポートランドのダギー・センターにうかがったときのことです。ここでは、両親を事故で亡くした子どもたちの心のケアがおこなわれています。施設の壁、一面に、両親が事故にあった場面が、絵に描かれていました。なかには、阪神大震災で両親を亡くした子供が書いた絵もありました。
そしてそこに、エリザベス・キューブラ・ロスさんの次の言葉
「悲しみを忘れないように」
が記されていました。
自分の体験をちょっとした表現にしてみましょう。
③次は、少しだけ、上級編。だけど、とても簡単なことです。
今自分が体験していること、たとえば「余震によって揺らされる不安」でしたらそれを、両手を動かしながら、数分間表してみましょう。
それだけでも少し落ち着いてくる方もいるかもしれません。
さらにいいのは、「揺らされる側」にとどまらず、「揺らしている側」の動きをほんの数十秒でいいので、おこなってみることです。それによって、私たちの意識が、「いつ何がくるかわからない不安におびえている自分」から離れていき、「脅えている気持ち」から、少しでも距離がとれるようになっていくかもしれません。
(これは、プロセスワークから学んだことです)
④最後に、まず5回くらい、ゆーーーーっくり、深呼吸をして、自分のまわり、自分の内側でおきていることを「ただそのまま、あるがまま」に眺めて、認めていきましょう。そうした姿勢を保つことで、「脅えている自分」から少し距離をとって、それを見つめている「自分自身」を少し取り戻すことができます。「あぁ、こんな気持ち、ここにあるなぁ」と、そこで起きていることのすべてをただそのまま認めていく姿勢を保つのです。(これは、フォーカシングのクリアリング・ア・スペースなどから学んだ、脱同一化の知恵です)
いかがでしょう。
できそうなものから、少しでも、お試しになってください。
そして、自分が自分の不安と少し距離がとれたら、まわり方の不安に耳を傾けてみましょう。
⑤今、周囲の人とのかかわりで必要なのは、アドバイスでも、ましてや説教や励ましでもなく、「相手の不安を、ただそのまま受け止め、聴いていく」ていねいな「傾聴」です。
このことを今こそ、改めて、心にとどめましょう。
これは、子どもたちにかかわっている教師や保育士さんたちにも、とても必要なことです。
さらに、今回は、スペシャルなプレゼント
このHPに、プロセス指向心理学の創始者、アーノルノ・ミンデルさんからの緊急メッセージが届けられていますので、ぜひ、ご覧ください。
また、以下に紹介するのは、私が監訳した『自己変容から世界変容へ』(コスモスライブタリー)の著者である天才派のセラピスト、ゲリー・リース氏によるトラウマ関連の3つのエクササイズです。昨年の日本でのワークショップでおこなわれたエクササイズですが、ゲリー氏のご好意、さらには、日本プロセスワークセンターのとこさんのご厚意により、プロセスワーカーの坂本ひとみさんによる和訳、転載させていただきます。
なかなか、むずかしいところもあると思いますが、少し気持ちに余裕があるときに「自分なりにできるところ」まででもおこなってみてください。今回の悲しい出来事を通して何を学ぶことができるのか・・・・大切な発見をされる方も少なくないと思います。
①<エクササイズ:トラウマを解放するためのワーク>
このエクササイズの目的はトラウマのために凍り固まってしまった状態との取り組みを学ぶこと、そしてワークする途中でトラウマを再び受けてしまわないように、「溶かす」過程をコントロールしながら行うことを学ぶことです。
- これまで自分の人生で体験したトラウマを一つ挙げます。
- それはどのようなトラウマでしたか。
- そのトラウマを感じたり、それに反応するのではなく、ただトラウマに対して固まってみてください。この固まった状態では何が起こるか、そして、凍り固まるとはどんな感じかに、ただ気づいていってください。この固まった状態は、トラウマのショック状態と関係しているかもしれません。このトラウマに関して自分はショック状態にあるのかどうかに気づいていってください。
- 今度は「自分には温度計をコントロールすることができる」と想像し、その凍りついた状態から自分を少し溶かしだしてみてください。
- このときに感情を感じる必要はありません。ただどんな感じがするかについて語ってください。
- 今度は、その感じの中から二つ選んで、両方の手にひとつずつ入れてみてください。その感じを手の動きで表してみます。エッジに気をつけながらやっていってください。(エッジとは行き詰まったり、ことばや動きや感じの表現が未完了になる瞬間のことです)
- 片方の手の動きを選んで、さらに続けていってよいか、自分自身にたずねてみてください。どちらの手の動きをもう少し深めたい気がするでしょうか。
- その動きをしながら、まだ動きが凍り付いている感じがあれば、1、2分でもよいので、さらに動きによる自己表現を自分に許してみてください。
- 自分でコントロールしながらこのエネルギーをいくらか解放するのはどんな感じだったでしょうか。動きで表現したとき、恐怖のレベルはどうだったでしょうか?少しでも解放された感じ、ほっとした感じがあったでしょうか。また、この後さらに自分にとってどのようなワークが必要かが少しわかってきたかもしれません。この後続けるとしたら、溶解のプロセスをさらに進めていくのが次のステップとなるでしょう。
②<基本の大地の瞑想>
- 2、3回深呼吸してください。
- 次に、頭のてっぺんから足の先までスキャンしながら、自分の最も深いプロセスは今時分の体のどこにあるかを感じ取ってみてください。この体の部分に何度か息を吹き込みます。
- この体の部分をじっくり感じ取ったら、今度はそれを動きで表してみてください。
- この動きにぴったりな地球上の場所はどこでしょうか。
- 想像の中でこの場所に行ってみてください。においを嗅いだり、音を聴いたり、感じ取ったり、見回したりしてみてください。そこにいると呼吸がどのように変わっていくかに気づいていってください。そして、徐々に変性意識に入りながら、この場所自身と一体となり、その場所に自分が変身していくのを感じていきます。
- この場所のエッセンスは何でしょう?この場所から立ち上ってくるエネルギーや気づきを一言でいうと?
- この特別な状態をさらに保ちながら、自分が取り組んでいる環境問題へのアドバイスを受け取ってみてください。何か情報を受け取ったらそれを書き留めます。
③<環境や自然災害のための大地のワーク>
このエクササイズの目的は、大地自身が環境問題や自然災害への取り組み方を教えてくれることを体験することです。
- 自分が惹き付けられている環境問題、あるいは自分が影響を受けている/受けたことのある自然災害を一つ挙げます。
- 自分の大地の場所を思い出し、その場所に想像の中で行ってみてください。そこに行ってみると、呼吸や意識が自然に変わってくるのに気づいてください。
- 次に、#1で挙げた問題に含まれる2つの部分について考えていきましょう。影響を与える側をXのエネルギー、影響や打撃を受けた側をY とします。(例;木工関係者がXだとすると、木はY。地震がXだとすると、地震によって打撃を受けた側がY)
- XとYのエネルギーをそれぞれ動きで表現してみてください。
- 自分の大地の場所につながりながら、XとYのエネルギーを絡み合わせるように、行ったり来たりしてみましょう。それぞれの部分になって言葉を発したり、動きで表したりしてみてください。
- あるところで、自然に体が動いていく感じになってきたら、この二つのエネルギーを合わせるダンスを生み出していきましょう。ダンスを創り出しながらも、自覚を保って、何が起きるかに気づきながらやってください。ここの部分は時間をとってやりましょう。
- このパワー・ダンスを続け、軽い変性意識を保ったまま、先ほどの環境問題や自然災害についてどうしたらよいか、教えやメッセージをもらってください。
- 必ずこれを書き留めて、そのメッセージを実行に移してください。
また、このような時に、これまでの自分の人生を振り返ろうとされている方も少なくないと思います。
人生となにか。
生きる意味とは何か。
なぜ、死は突然襲ってくるのか。
こうした実存的な問いを問わざるをえなくなるからです。
私の近著『「とりあえず、5年」の生き方 「逆算式人生5ケ年計画法」による「悔いのない人生」のつくり方』(実務教育出版)もお役立てください。
この本には、さまざまな書き込み式ワークショートも入っています。書くだけで、自分を見つめる「セルフ・カウンセリング」の効果があるものです。
- いつかしたい、そのうちやってみたいと思っていることは、先延ばしせず、今、しなさい。そのうちしたいと思っていることは、前倒ししてどんどんおこなっていきましょう。
- 人生でもっとも大切なものは時間です。なかでも最も大切なのは、大切な人とのふれあいの時間です。なぜならそれは、二度と戻ってはこないからです。仕事のスケジュールを手帳に書き入れる前に、大切な人とのふれあいの予定(例:娘と映画にいく時間、恋人と食事にいく時間など)を先に入れてしまいましょう。
- したいかしたくないか自分でもよくわからないことは、しない、と決めましょう。そんんな無駄な時間は、あなたにはないのですから。だらだらと習慣化した無駄なことに時間を浪費しないように、NOT TO DO リスト(これはしてはならない、ということのリスト)をつくりましょう。
- いったん立てた目標に固執するのは、やめにしましょう。無駄だと思ったら、思い切って捨て去りましょう。
- 2週間以内に何もはじめない人は結局、いつまでたっても何もしない人です。人生を変えるためには、どんな小さなことでもいいので、2週間以内に何かを実行することです。
いかがでしょうか。
また、こうした考えを含め、これからの自分の人生をどう生きていくか、さまざまな心理学の手法をフルに使いながら感じていく、気づいていくワークショップを4月23日24日におこないます。
自分創造ワークショップです。
例年と基本的な骨格は同じですが、新しく書いている本の内容なども含めて、リニューアルした「とってもハッピーで、でも深い気づきと学びが得られる」今年最初のワークショップにしたいとおもっています。
クランブルツの「プランド・ハンプンスタンス」、ユングの「シンクロニシティ」のほか、実存主義の諸思想、ミンデルのプロセスワーク、フォーカシング、「フロー」などの考え方を、とことん、楽しく、わかりやすく、また効果的に伝えていきます。
こうしたワークショップははじめて、という方も、教育やカウンセリング、コーチングなどのプロの方、人事担当の方・・・・そして何より、これからの人生をどう生きるか、最新心理学の知恵を総動員して考えていきたい方・・・ぜひ、ご参加ください。
これまでの人生をふりかえり「自分らしさ」を生かした人生を歩んでいきたい方、カウンセリング、教育、人事、コーテング、キャリアアドバイザー、福祉など、「人の人生」にかかわる仕事や勉強をしている方におすすめのワークショップです。
さまざまな割引コースも設定してあります。このホームページの「割引コースのご案内」をご覧ください。
日程・会場
【講師】 諸富祥彦
明治大学文学部教授、日本トランスパーソナル学会長、臨床心理士
【日時】 2011年4月23日(土)10:00~17:15
24日(日)10:00-16:40
【場所】 都内
* 会場は問い合わせのあった方にご連絡します
【参加費】 参加費28,000円
1日のみ参加費16,000円
*アウエアネス会員2,000円割引
(昨年までに本研究会に参加された方の割引)
*日本トランスパーソナル学会会員1,000円割引
申し込み先
1)ご希望のワークショップ名
2)お名前
3)郵便番号・住所
4)連絡先(電話、FAX、Eメールなど)
5)トランスパーソナル学会会員、アウエアネス参加有の場合はその旨をご記入の上、
メール、ファックス、郵便のいずれかでお申し込みください。
気づきと学びの心理学研究会<アウエアネス> 事務局
郵便の場合:〒101-0062
東京都千代田区神田駿河台1-1 明治大学14号館6階B611
「気づきと学びの心理学研究会事務局」Eメールの場合
*FAXの場合
03-6893-6701
ほかにも、次の本が発売中です。
最新刊、できたてホヤホヤの『明治大学で教えていく「婚育」の授業』(青春出版)。大学でおこなっている「結婚能力育成トレーニング」の実際が紹介されています。
『読むだけで心のクヨクヨがふっきれる22の方法 (王様文庫)』。
この本は、人の目を気にせず、自分らしく生きるための技術を、わかりやすく、さらっと伝えてあります。
だけど、読んでいただくと、わかりますが、結構深い内容も書いています。
また大好評の『男の子の育て方』につづいて多くの方に読んでいただいているのが『女の子の育て方~「愛され力」+「自立力」=「幸福力」。0~15歳児の親が必ずしておくべきこと。~』 です。
わが娘にしあわせにってほしい・・・と願うすべての親御さんに「女の子がほんとうに幸せになるための、とっておきの秘訣」をわかりやすく伝えてあります。
自分一人でも生きていける「自立力」と、「愛され力」の二つが、女の子の幸せのキーワードです。
最後に、カウセリングを学んでいる方、教えている方、カウンセラーの方、傾聴を学んでいる方・・・すべての方にぜひ読んでいただきたいのが、今年一番の労作『はじめてのカウンセリング入門』(上 ―カウンセリングとは何か)(下 ―ほんものの傾聴を学ぶ)の2巻です。
この2冊を読むと、カウンセリングの一番大切なことがわかる・・・そんな「決定版」のつもりで書いた5年越しの力作です。ぜひお読みください。
では、また・・・。
以下の本もよろしく!
更新日:2011.03.19
転載許可をいただきました。
掲載いたします。
Integral Japan > ケン・ウィルバー メッセージ
=========
日本の方々に御挨拶を申し上げます。
統合的な生(インテグラル・ライフ)を生きようとこころみるとき、そこには常に浮き沈みがあります。統合的な意識をもつとは、より高い、よりひろい、より深い意識をもつということであり、より多くの視点とより多くの慈悲とより多くの愛をもつということを意味します。ですから、困難な事態が出現するときにも、心をひろく開きつづけ、すべてを抱きしめていくことが重要となります。
これは福島の問題にもあてはまります。こうした問題の潜在的に壊滅的な性格は、われわれの目を閉ざし、われわれの意識を狭め、すべてをわれわれの心から押し出してしまうことになります。しかし、まさにそれこそが、われわれがしてはいけないことなのです。自己を閉ざしてしまう代わりに、われわれは自己を開いて、こうした恐ろしい状況下においても、心をひろく開きつづける必要があるのです。混乱のただなかにある揺るぎない静謐な目撃者は、われわれに、たましい(スピリット)としての自己を見出すことを可能とすると共に、また、われわれをたましい(スピリット)と直接に結びつけてくれます。そして、それは、本当に重要なことに、究極的に現実的(リアル)なことにわれわれを基礎づけてくれるのです。こうして、� ��面的な現象がそのおもむくままに単に訪れては去っていくなかで、あなたは、そのすべての自己であるところの、変わることのない源と基盤に錨を降ろしつづけることができるのです。
五感がとらえることのできる現象を緩和するためにできることがあれば、何でもしてください。しかし、それらの中に息づく目撃者の中に錨を降ろしつづけてください。それにより、日々の現実(リアリティ)は「あなたをより傷つけることにはなりますが、それほど悩ますことはなくなるのです」。「より傷つけることになる」というのは、あなたがより敏感になっているからであり、それらについて意識をしているからであり、それらのすべてを受け容れることができるからです。あなたはそれらから逃げたり、隠れたりしないのです。しかし、それらはあなたを「それほど悩ますことはなくなる」のです。なぜなら、あなたはそれらと自己同一化することを止めたからです。「これでもなく、あれでもない」("neti, neti," or "not this, not that")という全ての公平な目撃者としていつづけることができるのです。
この困難なときのなかで、わたしの想いと祈りは、みなさんと共にあります。みなさまが真実の統合的(インテグラル)な自己のなかに安らぎ、できるかぎりのかたちで前進されていくことを御祈りしています!
愛と光を御送りしながら
ケン・ウィルバー
=============
原文
From: Ken Wilber Sent: Wednesday, March 16, 2011 5:23 PM
Hello to my friends in Japan,
As one attempts to live an Integral Life, there are always ups and downs in the process. To have an Integral awareness means that you have a higher, wider, deeper awareness, with more perspectives and more care and more concern and more love. So even when difficult times arise, it's important to keep the heart and mind open and wide and embracing.
This goes for the troubles in Fukushima prefecture. The potentially devastating nature of these problems has a tendency to make one close one's eyes, narrow one's awareness, push the whole thing out of mind. But that's exactly what we shouldn't do. Instead of closing down, we need to open up, to keep heart and mind wide open even under these frightening circumstances. A steady, calm Witnessing in the midst of turmoil keeps one directly related to Spirit, as Spirit, and anchors one in what really matters and what is ultimately Real. That way, the surface phenomena can continue to simply come and go as they will, but you remain anchored in the unchanging Source and Ground and real Self of it all.
Do whatever you can to help with the surface phenomena, but remained anchored in their Witness, so that day-to-day realities "hurt you more, but bother you less." "Hurt more," because you are more sensitive, more aware of them and let them all in, you don't turn away or hide from them. But "bother you less" because you have ceased to identify with them, remaining "neti, neti," or "not this, not that" but the impartial Witness of them all.
My thoughts and prayers are with you all during these difficult times. May you rest in the real and integral Self and move forward as best you can!
Sending much love and light, Ken Wilber
更新日:2011.03.18
*JTA関係のセミナー情報です。申し込み・お問い合わせは各主催にご連絡ください。
3月20日(日)プロセスワーク・セミナー
「病態水準/健康次元とプロセスワーク
~カウンセリング、コーチング、コンサルティングの
要の「見立て」について、心理療法から学ぶ~」セミナー
神経症の治療のために生まれたフロイトの精神分析は
抑圧のアン・カバリング(un-covering、cover/蓋を、
un/はずすこと)、つまり暴露療法、あるいは
ブレークスルー(break-through)法を目指しました。
しかし、ブレークスルー法は統合失調症次元のテーマ
には大変危険です。
フロイトの弟子のP.フェダーンは、精神病圏の治療には
神経症のセラピーと違って(真逆で)、
抑圧を解除するのではなく、患者が抑圧することができる
ようにサポートすること、つまりカバリング(covering)、
蓋をすることができるように応援することが不可欠である、
と述べました。
もし、統合失調症圏のクライエントの人にブレークスルー法
を試みたならば、クライエントに妄想が始まったり、
妄想や幻聴が強化されてしまいかねません。
つまり、クライエントの病態水準/健康次元を考慮に
入れない技法は臨床現場では役に立たなかったり、
危険なことがままあります。
これは一見、、技法に見えない単なる「傾聴」にも言えます。
重い人各障害次元や精神病圏のテーマに、無自覚に
傾聴を試みると、心の病理が悪化することが少なく
ありません。
ですので、プロセスワーク、トランスパーソナル心理療法、
カウンせリング、コーチング、コンサルティングを学ぶには、
病態水準/健康次元について勉強しておくことは不可欠
です。
心理療法、ボディワーク、コーチングには各流派が
ありますが、病態水準/健康次元とは関係なく、
どの水準にも、誰にでもそのまま有効であるスパーマンの
ような、完璧なセラピーはありません。
プロセスワークも例外ではありません。
私たちは技法や各療法が主張する万能感から脱却して、
病態水準/健康次元について真摯に/誠実に
学ぶ必要があります。
『甘えの構造』で有名な土居健郎はかつて「わかる」と
いう単純なことが、病態水準によって以下のように
違って理解される/誤解されると述べました。
「わかられている(分裂病圏)」
「わかりっこない(躁鬱病圏)」
「わかっている(パラノイア圏)」
「わかってほしい(神経症圏)」
「わかられたくない(精神病質圏)」
「わかる」ということが、病態圏/健康次元によって
こんなにも異なってくるのです/異なってしまうのです!
セラピストは、自分が中立/客観的であれば
クライエントをあるがまま理解できると思いがちですが、
それはクライエントが自分(セラピスト)と同じように
物事や内的世界を理解する/理解している、
という自分勝手な(セラピスト勝手な<笑>)思い込みを
前提にしている/疑っていないからです。
クライエントを理解するには、クライエントの目線、
立ち位置から事象や内面を見て、感じて、触れて、
体験して・・・いく必要があります。
病態水準というと、クライエントを偏見から、あるいは
上から目線で見る/診断すると思われがちですが、
それとは全く逆に、クライエントとの地平から世界を捉える
工夫として大変有益です。
それは「ランク」と同様、臨床的プロセスワークが
クライエント理解に多いに活用している点です。
このセミナーでは、「神経症、人格障害、統合失調症」水準
とそれぞれの次元に見合った取り組み方/技法について、
プロセスワークの立場から基本を学びます。
初心者を初め、みなさまのご参加を心からお待ちしています。
日時:2011年 3月20日(日) 10:00~17:00(9:50開場)
講師:富士見ユキオ
会場:都 内
参加費:21,000円(税込)/1回
(セミナー当日、会場にてお支払いください)
お問い合わせ先:プロセスワーク研究会
FAX:03-5570-2860
E-mail:
URL:www.fujimi.in
更新日:2011.02.17
書評
『真実への旅』斉藤 啓一(著)
サンマーク出版
鈴木 規夫(本学会副会長)
霊性(spirituality)という営みには、本来、「自己肯定」と「自己否定」という対極的な要素が息づいている。
しかし、今日「スピリチュアリティ」とよばれているものは、総じてそうした対極性を統合する成熟した叡智に支えられたものではなくなってしまっている。
「ありのまま」の自己を肯定するという美名のもと、それらは退嬰的な自己耽溺を正当化するための方法に堕してしまっているのである。
ただ、ひところのあいだ流行したそうした「スピリチュアリティ」の問題も漸くここにきて徐々に認識されはじめているようである。
そして、今、あらためて評価されはじめているのが、禅をはじめとする伝統的な修行であり、また、継続的な実践を通して自己との真摯な対峙を奨励する正統的なスピリチュアリティである。
先日、こうした機運の変化を象徴するような優れた著書が刊行された。
斉藤 啓一氏による『真実への旅』という作品である。
斉藤氏は、これまでに『ブーバーに学ぶ:「他者」と本当にわかり合うための30章』や『フランクルに学ぶ:生きる意味を発見する30章』(共に日本教文社)等の著者として知られている思想家あるが、その著作活動をとおして、一貫して「意識の覚醒」という主題を探求してきた。
その作風は禁欲的なもので、そこでは安易な「慰め」や「癒し」が拒絶され、徹底して、日常の実践と探求をとおして、自らの目で真実をつきつめることが強調される。
今日の「スピリチュアリティ」の市場には、荒唐無稽な虚構や幻想を呈示することをとおして、読者の自尊心を慰撫することを目的とする書籍が氾濫している。
こうした中において、そのようなアプローチを毅然と否定するだけの意思と慈愛をそなえた著者というのは実はまだ少ない。
斉藤氏は、数少ない例外といえるだろう。
表面的な優しさの蔓延に窒息するような閉塞感をいだいていている読者にとって、ときとして残酷なまでに透徹した斉藤氏のことばには清々しさをあたえてくれる贈物となることだろう。
さて、この作品は、そうした斉藤氏のこれまでの探求の集大成といえるもので、「死」の宣告を受けたある青年の「魂の旅」をカリフォルニアを舞台に物語風に綴るものである。
絶望のさなか、主人公は「ファウスト博士」という謎の人物の主催する修行ツアーに同行することになるのだが、そこで、これまでの人生観をうちくだかれるような数々の学びと気づきを経験することになる。
この作品は「霊的修行」という主題を核にすえたものであるが、物語という形態をとっているために、読者は普通の小説を読むように寛いでその内容に入ることができる。
あたかも自分自身が冒険者になったかのように、精神世界の扉をひとつひとつ開けていくようなワクワクした気持ちをあじわえるのは、この作品の魅力のひとつであろう。
しかし、そこで紹介されている修行法は決して内容を落としたものではない。
むしろ、そこには、真摯な求道精神にもとづいて、霊的な探求の根幹をなすことがらが簡潔に、そして、包括的に紹介されているといえる。
具体的には、「肉体」(Body)・「思考」(Mind)・「感情」(Heart)という3つの要素の鍛錬が、「自己観察」というもっとも古典的な霊的実践(Spirit)のうえに位置づけられ、それらが総合的に解説されているのである。
読者は、本書で紹介されるこれらの洞察や実践の方法を吸収して、自己を統合的に変容するための道標をものにすることができるだろう。
ところで、霊的修行には、超常的な現象をはじめとして、実に多様な体験や領域を含めることもできるし、また、一般的には、「スピリチュアリティ」ということばが用いられるとき、そこで意味されているのは、そうした「非日常的」なものであろう。
この作品において、斉藤氏は、そうした超常的なものの可能性を十分に認識しながらも、あえて焦点を上記の4つの領域の実践に絞っている。
それは、そうした超常的な領域の探求に興じることが、霊的営みの本質からわたしたちの意識をしばしば逸らすものであることを斉藤氏が賢明に認識するからであろう。
実際、今日の「スピリチュアリティ」を特徴付ける、超常的なものに対する過剰なまでの執着とは、結局のところ、われわれの意識をむしばむ「空虚感」("the sense of lack")(c.f., David Loy)を埋めようとする衝動に根差したものにすぎない。
それを霊的な探求と混同してきたところに、今日の霊性文化の頽廃の大きな原因があるのである。
何が霊性の本質にあるのということが曖昧になっている今日の混沌とした状況において、霊性を地に足のついたものに復興しようとする斉藤氏の意図は実に意義深いものといえるだろう。
霊的な探求の道は、われわれに実に豊穣な歓びと癒しをもたらしてくれる。
しかし、それは、また、われわれを限界に追い込む過酷で孤独な営みでもある。
それは、われわれに繰り返し自らの人間としての器を壊し、そして、造りなおすことを求める。
この作品の魅力のひとつとは、人間の変容というものが、その本質において、「死と再生」という過酷な試練を通して実現されるものを克明に描いていることにある。
あなたがどんなに素晴らしいと言って詩また、そこには、真の自己肯定というものが、徹底した自己との対峙と格闘をとおして自己否定にとりくむことができるときに、はじめて到達することのできる貴重な贈物であることが活写されている。
「自力」と「他力」とは、霊的な実践を成立させる相補的な要素であるが、それらが「一」なるものとしてこの瞬間に存在していることを自覚できるためには、われわれは、統合的実践にとりくむことをとおして、自己の変容を実現する必要がある。
そのことを、斉藤氏は、過酷な試練と直面しながら苦闘する物語の主人公の姿を描きながら明らかにしていくのである。
ある意味では、この作品で述べられることのほとんどは、人類の歴史をつうじて無数の修行者により主張されてきた普遍的な洞察といえるだろう。
その意味では、ここには何ひとつ新しいことは記されていないといえるのかもしれない。
しかし、霊的修行においては、情報の「古い」「新しい」ということは、それほど重要なことではない。
21世紀を迎えても、われわれはいまだ生物種としての思春期を克服することができずにいる。
次々と衝きつけられてくる課題や問題をまえにして、完全な麻痺状態に陥っている自らの未熟さを誰よりも実感しているのは、われわれ自身である。
歴史的に伝承されてきた叡智を過去のものとして無下にできるほどにわれわれは成熟していないのである。
今、われわれに求められているのは、あらためて霊性の本質にあるものを確認して、それを21世紀の現実の中に再構築することなのである。
そして、そのためには、この作品は優れた参考書となるものであろう。
一時的な「慰め」や「癒し」ではなく、真の自己探求と自己変容の方法を模索している読者には一読を推薦したいすてきな作品である。
更新日:2011.01.02
書評
諸富 祥彦(著)『はじめてのカウンセリング入門』誠信書房
辰巳 裕介(本学会常任理事)
「カウンセリング」と聞いてあなたは何を想像しますか?
多くの人は「悩みを解決するもの」と答えるでしょう。しかし、この欄を読んでいる方は「自分をよく知るためのもの」と思った方が多いと思います。本書はそんなあなたのためにあります。
本書は、著者が大学院、あるいは勉強会(セミナー)などで行ってきた内容をコンパクトに15章にまとめたものです。難しい言葉をできるだけ排除し、丁寧に、そして直球で「ズバッ」と語られています。そしてカウンセリングの入門書によくある、理論の紹介だけだったり、「こうすればカウンセラーになれます」と言った安易なものでもありません。著者が得意とする分かりやすい親しみのある文体で、これまでの心理学、著者の専門であるロジャーズだけではなく、精神分析、行動主義までをも振り返ります。それらを踏まえた上で、「カウンセリング」の中心には「クライアントの話を丁寧に聞くこと」、つまり「傾聴」であると言います。そして、その「傾聴」を身につけるためのトレーニングが詳細に書かれているのです。
著者はカウンセリングを「人生のさまざまな問題に直面し、苦しむことを通じて、心の声に耳を傾け、多くの気づきと学びを得て自己成長をとげていく体験のプロセス」であると定義します。つまり、「悩み苦しみを通しての自己成長学」として存在し、その学問と技術がカウンセリングであり、その基板となるのが傾聴であると言い切ります。ここまで明快に書かれてしまうと、脱帽としか言いようがありません。
この「傾聴」を体系的に学ぶことができる。それこそが本書が他のカウンセリング本と大きく異なっている点です。特に下巻の「ほんものの傾聴を学ぶ」には、初公開となる「5ステップ式トレーニング」が掲載されています。シンプルながらとても分かりやすい傾聴のトレーニングマニュアルとなっており、その実践例もあります。実際のトレーニングで迷いこんでしまう失敗も、これらの事例を読めば、なぜ間違ったのか、何が違うのかが納得できます。読者が迷うだろう部分も想定して先にフォローをする、そんな丁寧な仕掛けもある。下巻のこの部分だけでも、「買い」だと私は思います。
もしかしたら、本書を読み、カウンセラーを志望する方が増えるかもしれません。人の心の暗闇にそっと耳を傾けたり、そのサポーター役として自分が役に立てることは魅力に感じるものです。読み進めるにつれて、どうしても「自分は心の声に耳を傾けるのが得意かもしれない」と確信される方もいるかもしれません。
そこでも著者は逃がしてくれません。カウンセラーへの道のりは「かなり長く険しい修行の道」であると、釘を刺します。
なぜなら、カウンセラーは、「クライアントが自己探索をおこない自己成長をとげていく、その体験の「器」として」存在することが必要であり、その深さによっては、「この人は、自分のこころを適当にごまかして生きてきた人だな」とバレてしまうと、もう次の週からクライアントは来てくれなくなる」ものであると言います。つまり、自分のなかの醜さや嫉妬深さなどの「闇の部分」をどれだけ見つめ、それをどう生きてきたかが、カウンセラーとして大切となる。それと向きあうことは、「修行」にも似ている。
実は、この言葉は、私が大学院に進学するときに著者から言われた言葉でもあります。
著者は、カウンセラー養成課程は別として、セミナーなどにおいて、万人にカウンセラーになることは求めていません。カウンセラーではない方には、自己成長学としての学問と技術を学び、よりもっと深い気づきが、いろんな人にもたらすことができたらいいと、感じているのではないかと私は今でも感じています。私は現在、学校教員として働いていますが、その「修行」の一端を経験できたことは、とても幸せでした。また今でのその末端に座らせてもらっている気持ちすらあります。絶えず心を掘り下げることは、私にはとうていできない。でもその技術と経験と学問は持っている。そんなちょっとした「自信」が、今の私を支えている気がします。
カウンセリングが自分を知るためのものと感じ方。ぜひ手にとってみてください。
更新日:2011.01.02
特別寄稿
「心のそばに学校がある:田んぼと畑と自由が学校」
伊勢 達郎
NPO法人 自然スクールTOEC代表
子どもたちの心や身体にとり、本当に大切なことは何なんだろう? 生きる力とは何? 基礎学力とは何? そもそも学校は本当に必要なんだろうか。
徳島県阿南市柳島町。那賀川河口に広がる水田地帯。畑の中に手づくりの小屋(!?)2棟。ここが現在、3~5才園児22名、6~12才児童16名が通う、田んぼと畑の無認可幼稚園と小学校、TOECフリースクールだ。ここには決められた時間割も教科書もカリキュラムもない。子どもたちの一日は①困っていること、②話したいこと、伝えたいこと、③今日やりたいこと、を話し合うモーニングミーティングでスタートする。
【1】遊学の日々
彼らの実際の一日は泥んこ遊び、畑仕事、おにごっこ、釣り、工作、絵を描く、野球、サッカー、漢字、計算ドリル等々、多様でコクコク変化しながら流れていく。遊びも勉強も作業(労働)も休息もどれもが混然一体となっている。どれもが区別なく「遊び」として存在している。
そして結果的に子どもたちに多様な学びがおきている。遊びが学びとなり、学びが遊びとなる「遊学」がここに在る。
【2】農と食
広い田畑には一年中何十種類もの作物が育てられている。米はもちろん、ここでとれた野菜や果物は途切れることなく食卓にのぼる。子どもたちも農作業の一端を担っているとはいえ、無農薬で育てられる農作業の負担はスタッフにとり、相当なものだ。
手間を考えるなら買った方がはるかに安くあがる。しかし、自分たちで世話をして、それを収穫し、分かちあってゆく豊かさは何ものにも変えがたい。トマトをちぎる。シャツで拭いてそのままガブリ。綺麗に整えられ、スーパーに陳列されたものにはないヨロコビがある。暮らしと食がつながっているのだ。キュウリであれピーマンであれ、最初に収穫するときは、「初物(はつもの)」といって、全員で少しずつ分けていただく。畑のオーナーのサチ子バアちゃんにも届ける。抑制のきいた美しい文化だ。
【3】働くことは金を稼ぐことではない
農作物だけでなくお茶や味噌、漬物、干し芋や干し大根等、たいていのものはすべて自家製だ。効率や便利さを追求するあまり、際限なく分業され、すべてお金でかたがつくかのような現代社会。今や人は生活全体のほんの一部しか触れていない。学校もその例外ではなく、工場化してはいまいか。TOECフリースクールはすべてが手づくり。工場と比べるならさながら手作業の工房といったところか。傷んだり、壊れたりしたところは業者に取り替えてもらうのではなく、何とか自分たちで修繕する。食といい、モノづくりといい、メンテナンスといい、いつのまにか金を稼ぐことと混同されがちな、「働く」ことが本来の意味と喜びをもって存在している。
【4】信頼することがお仕事
教えるという行為は学び手が学ぼうとしない限り成立しない。しかも学び手はその学んだことすらいつでも手放し、捨てることもできる。実は大人の都合で子どもを教えることも、育てることも躾けることもできないのだ。彼らは様々な機会に学び、自らを育て躾ける存在だ。「指導される『対象』」ではなく「学びの『主体』」なのだ。この考えは、TOEC設立以来、カウンセリングであれ、自然体験活動(キャンプ)であれ、オルタナティブな学校と幼稚園TOECフリースクールであれ、一貫した背骨の部分といえる。スタッフは主体である子どもたちを支援すべく、彼らの今ここの気持ちに寄り添い、肯定的であれ、否定的であれ、ありのままの存在に敬意を払い今起きている現象を認めることに努めている。同時に自らの気持ちや在り様 にも耳を傾ける。内側の自然と外側の自然で起きている現象に光をあて、居場所をつくるとプロセスが、場が、お仕事を(教育を)してくれる。運んできてくれる。場に力が宿るのだ。僕たちは信頼することがお仕事なのだろう。比較や評価から解放された子どもたちは、エネルギッシュで意欲的だ。スタッフは彼らのやりたいことの過不足のない支援をこころがけ、やりたいことができる(促進させる)場所や人につないだりもするが、たいがいのことはしゅくしゅくと時に四苦八苦しながら子どもたちは自分で何とかする。もちろんそれぞれのペースとやり方で。僕たちは感動をもってそれを見守る。すばらしい指導で依存心を助長させたり、指示待ちの受け身ライフスタイルへと追いやるようでは本末転倒だからだ。
【5】パン喰い競争
「パン喰い競争がやりたい。」ハルト(小3)が、ひょんなことから提案。「僕もやりたい。」何人かがこのプランにのっかる。彼らは近所の図書館に出向き、パンのつくり方を研究。材料をそろえて開始。頭での理解と体験は違う。固くなったり、こげたり、生だったりとなかなかうまくいかない。一日かけてやっと納得のいくパンが焼きあがり、皆で味見。「うまい!」気前よく他の子らにもふるまう。完食。「うっ? まてよ。パン喰い競争のパンは?」大笑いとガックリ入り混じりながらパンづくり再開。パン喰い競争はいつできるのだろう。(実際は翌日大もりあがりでおこなわれた。彼らの学びは単にパンのつくり方やパン喰い競争の体験にとどまっていないことは理解していただけるでしょうか。)
はづき(小6)は編みものをするといって裏の竹やぶへ行ってノコギリで竹を切ってきた。そして、ナタとナイフを駆使して編み棒をつくり始めた。一事が万事。なんたるスローライフ! 比較や競争でなく存在そのものが認められ、自分の気持ちを大切に汲み取ってもらった子どもは自分に自信をもち、しかも自然や達人、農業や労働で足ることを知り、抑制がきく。学ぶ意欲と創造力、コミュニケーションの能力の高い彼らが次々と中学、高校、そして社会へとすすむ。僕はそこに光を見ているし、産業社会の向こうの扉、非暴力で共生、元気で平和な社会への道標だと思っている。
【6】P. C. A. パーソン・センタード・アプローチとの出会い
僕がこのような考えをもつに至るきっかけは、カール・ロジャーズの唱えるP. C. A.(パーソン・センタード・アプローチ)をベースにしたカウンセリンググループによるところが大きい。大学時代、始めて参加したカウンセリンググループ。僕のカウンセリングの師であり、そのグループの世話人だった、西光義敬先生(仏教カウンセリング)は「どうぞ、ご自由にお始め下さい」と言ったきり黙然した。これには驚いた。指導者たるもの教え、導いてくれるものと思いこんでいたからだ。まして元来、世話好き、祭り好きの僕。この「待つ」態度に目がテンになり、それはやがて「目からウロコ」になったのだ。西光先生はただ漫然と待っているだけではない。沈黙も含め、メンバーの気持ちひとつひとつに丁寧に寄り添い耳を傾けてくれる。また、先生の中で湧き起こる気持ちも正直に語ってくれる。他人の気持ち� �も自分の気持ちにも耳を澄ませ、決して否定したり、諭したりして、今の僕を変えようとしない人。そんな人に僕は始めて出会った。知らず、知らず、グループは、今ここの気持ちを語り、聞きあう受容的で促進的な雰囲気になり、僕も誰からも強制されることなく心が開いていた。人は共感的な態度で気持ちを理解してもらう時、アドバイスや動機づけなどなくとも、かくも成長し適応することをここで身をもって学び、回を重ねるごとに確信していったと言える。加えてさまざまな問題を抱えた方々がグループの中でゆるやかに、時に瞬時に自分を取り戻し甦る。その場を共にいられる感動は筆舌につくしがたいものだった。「何と生命とは健やかなものか。」その感動こそが、僕の中にもP. C. A.の態度を育み、P. C. A.の理念に基づいた個人やグループのカウンセリング、自然体験活動(沖縄無人島キャンプ等フリーキャンプ)、学校、幼稚園(フリースクール)を開くことへと僕を運んでいったのだった。本誌、日本トランスパーソナル学会との出会いももちろん運ばれていった先のひとつである。
特に、フリースクールは自然体験活動の実践、カウンセリング、農業、環境問題への住民運動等がひとつになったとりくみだ。そこでは親たちに「一緒に学校をつくりませんか。」と参画を呼びかける。「TOECフリースクールはすばらしい」と学校に代わる新たなベルトコンベアーよろしく丸投げされるものではないと考えるからだ。自由は与えられても自由になるわけではない。フリースクールは単に枠組みがゆるいという意味ではなく自由になってゆくところ、自由の道場だ。サービスの代価としての学費ではなく、ここに出資してもらう消費型からつくり手へ。大人こそが共にゆらぎながら自分になってゆく場。フリースクールはそのための挑戦であり、実験。ささやかだけど確かに実践されている取り組みであり、模索なのだ。
NPO法人 自然スクールTOEC
URL:
更新日:2011.01.02
特別寄稿
「祖母の死がもたらしてくれた太陽と月の結婚」
波多野 毅
(寺子屋TAO塾代表・食育エコロジスト)
私の、「マクロビオティック」の講演を聴いて下さった李栄子さんのお声かけで、日本トランスパーソナル学会のニュースレターに文章を書かせていただくご縁を頂いたことを心から感謝しています。偶然を装う人との出会いや出来事の背後に働いている「大いなる計らい」「ひとつらなりのいのちの大河」の流れの上に授かった貴重な機会に感じています。
遠くを探すことはない 後ろをふりむくこともない
めぐりあいは偶然の風の中 自分らしく自分を生きたら出会えるはずさ
めぐりあいは偶然の風の中 自分らしく自分を生きたら闇は消えて朝が来る
まわりにあわせることはない 君が君になればいい
めぐりあいは神様の贈りもの 心開いて今を生きたら出会えるはずさ
めぐりあいは神様の贈りもの 心開いて今を生きたら雪はとけて春は来る
(波多野毅作詞『緑の風のインスピレーション』より)
私にとっての「気づき」の原点は、愛する祖母の死でした。無学の老婆でしたが、人の喜びを我が喜びとし、人の悲しみを我が事のように悲しむ一点に長けた深い情の人でした。
「病室の 真白き中に 響きける 音なき音の 点滴の粒」
今から、約20年前に祖母の看病をしながら作った短歌です。無機質な病室の中、身体じゅうにチューブやセンサーを取り付けられ「スパゲティ症候群」状態で死んでいく祖母の姿を見て身を切るような辛さを感じました。
祖母が亡くなった1987年に、奇遇にも日本ホリスティック医学協会(ホリ協)が設立され、知人が協会の理事をしていたこともあって運営委員になりました。トランスパーソナル心理学と出会ったのもそのお陰です。協会の主催するシンポジウムで、統合医療の世界的な権威であるアリゾナ大学のアンドルー・ワイル教授の講演を聞く機会がありました。博士は、現代医療に警鐘を鳴らすとともに、健康を「からだ全体のバランス」と考え、薬漬けでなく人間が自らもっている自然治癒力をいかに高めるかが大切であると力説しました。私は感動しながら雲の上の人として博士を見つめていました。まさかその後、彼の著書「太陽と月の結婚」が、私を変性意識体験へ導き、20年後の一昨年には、我が故郷小国で博士と再会できることなど、� ��の時は知る由もありませんでした。
私は、大学卒業後、信州諏訪の教育者、堀田 俊夫氏の経営する私塾「学育塾」に就職していました。彼は、教師が「教え・育てる」教育でなく、生徒自らが主体となって自主的に「学び・育つ」学育の精神を培う土壌作りこそ教育の根本と唱えました。ホリ協との出会いにより、医療もまた、安易に医者・病院に「おすがり」してしまうのではなく、患者自身の中にある自己治癒力を知り、医療の主役が自分なのだという自覚を持った上で専門家の意見や技術の手を借りるという姿勢が大事であることを知りました。社会学者のイヴァン・イリイチが指摘したように、産業化社会の中で制度化された学校や病院で供給される教育や医療は、時に生徒や患者の依存性を助長しかねません。学びや癒しを受身でなく、「己こそ己のよるべ」と自覚する姿勢が大切だと学びました。
その後、ホリ協理事の人達との交流の中で、鍼灸専門学校に通うことになりました。そして、東洋医学研究の中、医食同源に興味を持ち東洋の食医学マクロビオティックに出会ったのです。禅や老荘といった東洋哲学にはずっと興味がありましたが、この頃から、トランスパーソナル心理学やディープエコロジーと融合して、「私の癒し」「世界の癒し」「地球の癒し」とを不可分なものとして感じるようになり、自己探求と社会変革そしてエコロジーを三位一体と理解するようになりました。
鍼灸指圧の資格を取った後、マクロビオティックを世界に広めた久司 道夫氏が創設した米国のKushi Institute(KI)に留学しました。現在、私のKI同窓の仲間達が歌手のマドンナや俳優トム・クルーズの専属シェフを務めています。在学中、マクロビオティックの創始者、桜沢 如一もリスペクトしたヘンリー・D・ソローが、「森の生活」をしたウォールデン湖を訪ねました。ソローの墓に参った後、彼の住んだ森の小屋跡で、小鳥のさえずりや風の音に耳を澄ませ、森の柔らかい香りの中で、自然と共に生きた彼の生活を夢想してしばし瞑想しました。深く深く森に溶けいっていくようでした。彼の思想は多くの小説を生み、今もなお沢山の人々に読み継がれています。ガンジーやトルストイなどにも大きな影響を与えました。彼らの食もまたソローにならい、自然でシンプルな「足るを知る」ものでした。不思議なことに、気がつくとウォールデン湖を訪ねたその日は、ちょうど私の31歳の誕生日でした。
見上げれば白い雲 青空さして鳥が飛ぶ 森のこずえソローの調べ
孤独の中に光さして 僕の想いをはるかに超えて ウォルデンポンドに朝が来る
ふかれる雲のように身をまかせ 流れる雲のように身をゆだね
時を超え 言葉を超える 扉開いた
見上げればカシオペア 天の川に流れ星 森にとけるソローの調べ
沈黙の中に光さして 僕の身体をはるかに超えて ウォルデンポンドの夜はゆく
(波多野毅作詞『WALDEN』〜ソローの調べ)
米国留学後、欧州無銭旅行をして再びKIに戻るつもりでいました。旅の終わり頃、スペインで夕陽を眺めながらふと故郷を思い出しました。私は子供の頃、生まれ育った阿蘇「小国町」の名前が嫌いでした。なんとセコい名前なんだろうと。時は「大きいことはいいことだ」の時代、私は夢と自由の青い鳥を求めて大都市東京、大国アメリカへ移り住みました。水平線に沈むオレンジ色に輝く夕陽を眺めていると、ふと不思議な感覚になってきました。丸い太陽が地球に感じられ、それをあたかもグーグルマップをクリックしていくように、アジア→日本→九州→熊本→阿蘇→小国と次々とクローズアップしていくイメージが湧いたのです。都会に住む友人から「阿蘇はいいなぁ、美味しい空気と水、豊かな緑に囲まれて」と言われても、� �れが当たり前の所に住んでいると有難味がなかったのでした。遠い異国の地で、日本や阿蘇の悠久の歴史とこれからアジアの時代に向けた地理的な視点において九州・阿蘇の可能性の面白さを直感的に感じたのでした。そして、故郷小国町を地球の一点として、自然とともに自分らしく生きる創造的活動の拠点として選ぶことにしたのです。「青い鳥」は意外にも足元にいたのでした。
今、私は「小国」の名を誇らしく感じています。その名からスモールイズビューティフルの独立した理想的なコミュニティを連想できるではありませんか。急速にグローバル化していく現代社会、日々より強いものが弱いものを駆逐していっています。世界的な環境破壊と巨大な金融システムの影響は例えそれが阿蘇の田舎であってもヒマラヤの奥地であっても避けられない時代。人と人のつながりは経済至上主義の大波に断ち切られています。しかし、これからはスモール、シンプル、スローの3Sの時代。健康と環境に大きな負荷を与える巨大サイクルでなく、顔の見える範囲での地域循環型こそ持続可能な社会への鍵だと感じています。老子道徳経第八十章「小国寡民」は、あたかも来るべき未来社会を暗示しているかのようです。
祖母の旅立ちから20年後、まさかタイムズ誌の表紙にもなったワイル博士が私が主宰するTAO塾にくる事など夢にも思いませんでした。博士が心身医学関係の学会基調講演の後、プライベートで阿蘇に来られる事になり、日本の伝統料理を提供する仕事をもらったのです。博士にはTAO塾のSelf learning & Self healingのコンセプトに 共感していただき、大きな励ましを頂きました。南小国町の縄文の遺跡「押戸石山」を案内し、そこでTAO特製菊芋入りマクロビオティックランチを食べて頂きました。私が、阿蘇のカルデラや巨石の配列、岩に刻まれたシュメール古拙文字ペトログラフの解説をすると、「It's a JOMON world!」と博士が叫びました。なんと縄文という言葉をご存知だったのです。
縄文時代は、かつては未開で野蛮な人々が暮らしていた時代という認識でしたが、自然と共生する英知を持ち、数万年以上続いた「持続可能な社会」だったのかもしれません。ミャンマーの森を再生した仏教エコロジストや、オーストラリアのディープエコロジスト、最近では「女性原理」の時代へむけて現代の女神と思える人達などがTAO塾を訪れ、私が縄文の聖地「押戸石山」に案内する機会が急増しています。
資本主義、市場経済、拝金思想が生んだ環境破壊、金融システムの崩壊は、今後国家破綻をもうんでいくような勢いですが、我々を取り巻く現象の世界は、我々の心の内面の投射の世界です。環境破壊も戦争も究極的には我々の意識が生んだのだと思います。世界平和をいくら願っても、自他を別々に観る意識では結局はエゴを守ろうとする想いに操られるでしょう。全ての責任を自らに見出す「我が事」の意識こそ、「奪い合い・争い合い」の世界から「与え合い・分ち合い」の世界への鍵に思います。
寺子屋TAO塾では、平和の根本であるこの自他一体の理の感得と、自然の法則に調和する生き方を医・食・農の実践の中で学んでいます。漢方でいう「医食同源」を一歩進め、心身の健康の基本は、食であり、その食を支えるのが農であると「医食農同源」をコンセプトにしています。農が誤れば食が歪み、食が乱れれば身体が歪みます。バランスを壊した心身の状態では決して平和な社会は実現しないのです。その意味において、農=土は平和の礎といえます。縄文の大地でノイズを浄化し、心身のチューニングを試み、「小国」を冠するムラで来るべき共生社会のコミュニティを描いていきたいと思っています。宇宙の奇跡とも言える月と太陽がみかけ同じ大きさに見える、太陽と月が結婚した星=地球。陰陽、顕幽に遊べるエピキ� ��リアンタオイストこそ、その住人に相応しいのかもしれません。
故郷はなれ雲に乗り 自由な空を探してた 遠い異国の一人旅 赤い夕陽が教えてくれた
今ここに出会う出来事 一つ一つに 何より尊い意味がある
大いなる時間の流れのその中で ささやかな人生だけど ほとばしる情熱に
精一杯自分をかけて 生きていこう 大いなる銀河の流れのその中で
子供の頃に風になり 虹の源追いかけた 阿蘇の大地に一人立ち 野に咲く花が教えてくれた
目を閉じて耳を澄ませば 聞こえてくるよ 宇宙を奏でるメロディが
大いなる時間の流れのその中で ちっぽけな人生だけど 何気ないヒトコマに
さりげない愛を感じて 生きていこう 大いなる銀河の流れのその中で
(波多野毅作詞『大いなる銀河のその中で』より)
プロフィール:波多野毅(はたの たけし)寺子屋TAO塾代表・食育エコロジスト
1962年、熊本県阿蘇郡小国町生まれ。法政大学社会学部卒業後、信州諏訪の学育塾にて堀田俊夫氏の下でKJ法などを研鑽。祖母の死がきっかけで東洋医学・ホリスティック医学に興味を持ち、東洋鍼灸専門学校にて鍼灸指圧の資格を取得。その間、日本CI協会、大阪正食協会にてマクロビオティックを学び、南無の会にて松原 泰道師らに仏教を学ぶ。1993〜1994年アメリカのKushi Instituteに留学しスタッフとして働く。 帰国後、故郷小国町に「TAO塾」を創設。寺子屋塾の仕事の傍ら、時に鍬、時にペンを持つ生活。 教育・健康・環境に関する様々なプロジェクトを推進しながら、国内外の研修生を数多く受け入れている。その活動は辻信一著「カルチャークリエイティブ〜新しい世界を作る52人」(ソトコト新書)やNHK金曜リポートLOHAS特集などで紹介された。現在、NPO法人パーマカルチャーネットワーク九州理事、熊本県地球温暖化防止活動推進センター理事。 著書に「医食農同源の論理〜ひとつつらなりのいのち」(南方新社)などがある。モットーは「阿蘇びをせんとや生まれけむ!」
更新日:2011.01.02
「経営にカウンセリングを活かす:インテグラル産業カウンセリング」
コスモス・ライブラリー刊
松村 一生(シニア産業カウンセラー・初級教育カウンセラー)
"関係を保存する方法"今般、ニュースレター編集主幹の鈴木 規夫先生から、自著紹介文を寄稿しないかとのお言葉を頂戴しましたので、本書の狙い等につき、書かせていただきたいと思います。表現の未熟さゆえに、失礼の段があれば、どうぞお許しいただきますようお願い申し上げます。
本学会の良いところは、学者にとどまらず、心理職、看護・介護職、医学者、宗教家、研究者、ビジネスマン、学生、主婦などなど、実に多くの方がたが「トランスパーソナル」という思想に共鳴し、集い、共に学んでいることだと思います。一方、私が本学会に入会してから6年がたちますが、いまだ我が国のトランスパーソナル学は、市民権を得たと言い得るには、充分とはいえないと思っています。
それはなぜなのか? トランスパーソナル学の最大の思想家は、K. ウィルバーだという事は多くの方々に同意していただけると思います。しかしながら、ウィルバー思想はあまりにも壮大で、精緻です。すぐれた思想の多くがそうであるように、専門家や研究者のレベルでその有効性が理解されていたとしても、それが実社会に活かされることがなければ、空論の謗りを受けないとも限りません。
もちろん、心理療法家としては、A. ミンデルという達人がいます、医学的には、S. グロフの優れた研究成果があります。一方、実社会への適用という点では、我が国では鈴木 規夫先生が奮闘されているのは、ニュースレター読者の皆さんはすでにご存じの通りだと思います。
本書は、トランスパーソナル学、とりわけウィルバーのインテグラル理論の枠組みを、産業カウンセリングひいては企業経営それ自体に活かしていけないだろうか? という筆者自身の素朴な発想から生まれました。
現代のわが国産業界は、グローバル化・市場経済化への圧力ゆえに、人件費を圧縮し、遮二無二コスト削減に奔走し、それによる収益を株主に還元することが自己目的化してしまっています。輸入された人事管理手法である、目標管理制度や成果主義賃金制度を導入している企業の割合も増加しています。
これによって私たちの生活は、豊かでやりがいのあるものになっているでしょうか? 実際には、メンタルヘルス不調者が多発し、勤労者の自殺も見過ごしにできない数で推移しています。若者たちは、非正規雇用を強いられ、低い賃金・低い社会保障に苦しんでいます。
かつて良い商品の代名詞であったMADE IN JAPANは、単に安いだけではなく、次々に先進的で優秀な商品を世に送り出してきました。そうした商品開発を支えてきたものは、何だったでしょうか?
かねてこれらの問いの答えを捜し求めていた筆者は、本学会の連続講座を通じ、ウィルバーのインテグラル・プラクティスを学びました。その後、さらにウィルバーの著書で補完した上で、インテグラル理論の枠組みを利用して、産業カウンセリングのカバーすべき活動領域を再検討してみることにしました。すると、あることに気付いたのです。産業カウンセリングは、これまで福利厚生の視点から個人セッションのカウンセリングに特化して、不調者のサポートを主体にしてきました。しかし、インテグラルな視点を持つならば、もっと別な領域にもカウンセリング心理学は適用可能なのではないか?
メンタルヘルス対策はもちろん、その予防、個々人のモチベーション、企業のモラール向上、昨今注目を集めているコンプライアンスやCSR、教育研修、人事労務制度・・・…心理学が提供できる知見は、もっともっと広がる。「やったぜ! ウィルバー。あんた、やっぱり天才だ!」思わず膝をハタと叩いたのを覚えています。
当時、外部EAP会社で電話カウンセリングを主たる活動としていた筆者は、企業組織に直接関われないもどかしさを感じていましたが、このプラクティスを通じて、目からウロコが落ちるような思いがしたのを覚えています。そして、先に述べた、産業界に対する諸々の問いに対しても、一つの解答を与えてくれると思いました。その後は、職業訓練校や若者サポートステーションあるいは産業カウンセラー養成講座実技指導に活動の重心を移し、グループワークの実践を積み、その思いをより一層強くしていきました。
本書では、著者が実際に職業訓練校で使っているグループワークの一端をご紹介して、読者の方々により具体的にイメージしてもらえるよう工夫してみました。また、ウィルバーのプラクティスの他に、カウンセリング心理学の各療法・技法の特徴を一枚の図にまとめた「カウンセリング地図」や、コンプライアンス・CSRと、モラール向上対策・メンタルヘルス対策との関連を図解した「相関図」など図版を使って、できるだけ「見える化」を図ったつもりです。
この閉塞感の蔓延する時代に、心理学の知見を、どのように活用していったら良いのか? 心理の専門家だけでなく、企業の活性化を望む経営者、メンタルヘルス不調者の多発に悩む人事労務担当者・健保組合職員、労働組合関係者、コンプライアンスやCSRへの取組を進めているスタッフ部門、教育研修部門の方々にも、気軽に読んでいただけるよう、平易な言葉でコンパクトにまとめてみました。
残念ながら紙数の関係で、ミンデルやグロフにまで言及することはできませんでしたが、カウンセリング心理学、人間性心理学、組織・産業心理学については一定の紙数を割き、かつ携帯にも便利なサイズになりました。手元に置いて、ちょっと参照する、というような軽便なハンドブックとしてご利用いただければ幸いです。
尚、出版にあたり、本学会会長の諸富 祥彦先生より、帯に推薦文をいただきましたこと、ニュースレター紙面を通じ、改めて厚く御礼申し上げます。
更新日:2011.01.02
1年のはじめにあたって「これから、5年」どう生きるか、考えよう!
4月23日24日「自分創造ワークショップーー幸福の波に乗る! も受け付け開始!
1年の計は元旦にあり、と言われます。お正月に「今年は、こんな年にしよう」と思いを新たにされた方も少なくないと思います。
しかし私は、年のはじめに「これからの1年」ではなく、「これからの5年」をどう生きるか、思い描くことをお勧めしています。
というのも、私のこれまでのカウンセリングなどの経験では、「人生に吹く流れ」のようなものが、おおよそ、「5年周期程度で切り変わっていく」ように感じられるからです。
5年もたてば、味覚も変わり、趣味も少しずつ変わっていくように、こちらの感じ方、考え方も5年たてばだいぶ変わってきて、交流したい人のタイプや、仕事で出会う人も、5年経てばだいぶ変わっていくようです。
そう考えると、「人生のステージそのものも5年単位で切り替わっていく」とイメージして生きていくのが理に適っているように思えます。
これが10年だと長すぎます。
これから先、5年くらいは私も今の私とそれほど変わらない「同じ私」として生きているように思えるけど、10年も経てば、私も今の私とは異なる私になっていくように思えます。社会の状況もしかり、です。
「人生、5年周期で、人は新たな自分に、生まれ変わり、死に変わっていく」――だとすれば、今の自分のしたいこと、どうしてもやっておきたいことは、やはりこの5年のうちにやっておいたほうがいい、ということになります。
こうした考えから私が提案したいのが、「逆算式人生5ケ年計画法」です。
おそらくはまだ生きており、それほど自分に大きな変化も生じていないと思われる「5年後」に視点を置いて、そこから現在へと逆算式に、「仮に5年後に死んでも悔いが残らないためには、いつ何をしていくか」計画を立てて、2週間以内に具多的なアクションを起こして実行していく、という方法です。この人生でどうしてもしたい、やっておきたいと思うことは、たとえ5年後に死んでもいいようにやっておくことが、「悔いのない人生」をつくっていく上での最大のポイントではないかと私は思うのです。
真面目な方がよく陥りがちなのが、長期の人生計画を立ててそれに固執するあまり、「したいことは先送り」「今は我慢、我慢」で生きていく・・・それはしかし、リスクの高すぎる人生計画と言わざるをえないでしょう。
実際、私の見聞するところ、70歳を超えて生きている人は、80後半や90まで生きる人がきわめて多いのに対して、70歳よりも早く死ぬ人、特に男性には、五十代前半や半ばで亡くなる方も少なくないようです。
そう考えると、私の余命も、あと5年と少々しか残っていない可能性も、それなりにはあるのです。そしてもしそうなったら、あと30年生きるつもりで「いつか」「そのうち」と考えて、ほんとうにしたいこと、やりたいことを先延ばしにしてしまっていたら、死ぬ間際に断末魔のような叫び声をあげることになってしまうと思います。
「こんなはずじゃなかった」「まだまだ死ねない!」と。
そんなことを考えていると、とりあえず、人生あと5年程度のつもりで生きて、たとえ実際そうなったとしても、「やりたいことはひととおりした」「どうしても、これだけはしておきたいと思っていたことは大方した」と思えるような生き方を日々心がけて生きていくことが、賢明な生き方であると思えるようになってきました。
死ぬときに後悔したり、慌てふためいたりせずにすむためにかけておくのが「保険」だとすると、人生最大の保険は、死んだ後で遺族に支払われるお金などではなく、たとえ死が予定外に早く訪れたとしても後悔しないですむように、「この人生でしたいこと、しておくべきことを確実にやっておくような生き方」を日々こころがけて生きることなのではないかと考えるようになったのです。
そんな生き方を実現するために、書いたのが私の近著『「とりあえず、5年」の生き方 「逆算式人生5ケ年計画法」による「悔いのない人生」のつくり方』(実務教育出版)です。この年末年始に、ぜひこの本を手に取っていただいて、「これから5年、どう生きるか」じっくりお考えになってください。
この本には、さまざまな書き込み式ワークショートも入っています。書くだけで、自分を見つめる「セルフ・カウンセリング」の効果があるものです。
ですので、この本を読みながらじっくり「これから5年」の生き方を考えていただきたいのですが、そこで書いた基本メッセージこそ、私がみなさんに、年末年始のご挨拶としてお送りしたいメッセージそのものでもあります。
それは、次の5つです。
- いつかしたい、そのうちやってみたいと思っていることは、先延ばしせず、今、しなさい。そのうちしたいと思っていることは、前倒ししてどんどんおこなっていきましょう。
- 人生でもっとも大切なものは時間です。なかでも最も大切なのは、大切な人とのふれあいの時間です。なぜならそれは、二度と戻ってはこないからです。仕事のスケジュールを手帳に書き入れる前に、大切な人とのふれあいの予定(例:娘と映画にいく時間、恋人と食事にいく時間など)を先に入れてしまいましょう。
- したいかしたくないか自分でもよくわからないことは、しない、と決めましょう。そんんな無駄な時間は、あなたにはないのですから。だらだらと習慣化した無駄なことに時間を浪費しないように、NOT TO DO リスト(これはしてはならない、ということのリスト)をつくりましょう。
- いったん立てた目標に固執するのは、やめにしましょう。無駄だと思ったら、思い切って捨て去りましょう。
- 2週間以内に何もはじめない人は結局、いつまでたっても何もしない人です。人生を変えるためには、どんな小さなことでもいいので、2週間以内に何かを実行することです。
いかがでしょうか。
また、こうした考えを含め、これからの自分の人生をどう生きていくか、さまざまな心理学の手法をフルに使いながら感じていく、気づいていくワークショップを4月23日24日におこないます。
今年のテーマは、「自分」創造ワークショップーー「幸福の波」に乗る!です。
例年と基本的な骨格は同じですが、新しく書いている本の内容なども含めて、リニューアルした「とってもハッピーで、でも深い気づきと学びが得られる」今年最初のワークショップにしたいとおもっています。
クランブルツの「プランド・ハンプンスタンス」、ユングの「シンクロニシティ」のほか、実存主義の諸思想、ミンデルのプロセスワーク、フォーカシング、「フロー」などの考え方を、とことん、楽しく、わかりやすく、また効果的に伝えていきます。
こうしたワークショップははじめて、という方も、教育やカウンセリング、コーチングなどのプロの方、人事担当の方・・・・そして何より、これからの人生をどう生きるか、最新心理学の知恵を総動員して考えていきたい方・・・ぜひ、ご参加ください。
充実した「幸せな人生」を創っていきたい方、これまでの人生をふりかえり「自分らしさ」を生かした人生を歩んでいきたい方、カウンセリング、教育、人事、コーテング、キャリアアドバイザー、福祉など、「人の人生」にかかわる仕事や勉強をしている方におすすめのワークショップです。
さまざまな割引コースも設定してあります。このホームページの「割引コースのご案内」をご覧ください。
日程・会場
【講師】 諸富祥彦
明治大学文学部教授、日本トランスパーソナル学会長、臨床心理士
【日時】 2011年4月23日(土)10:00~17:15
24日(日)10:00-16:40
【場所】 都内
* 会場は問い合わせのあった方にご連絡します
【参加費】 参加費28,000円
1日のみ参加費16,000円
*アウエアネス会員2,000円割引
(昨年までに本研究会に参加された方の割引)
*日本トランスパーソナル学会会員1,000円割引
申し込み先
1)ご希望のワークショップ名
2)お名前
3)郵便番号・住所
4)連絡先(電話、FAX、Eメールなど)
5)トランスパーソナル学会会員、アウエアネス参加有の場合はその旨をご記入の上、
メール、ファックス、郵便のいずれかでお申し込みください。
気づきと学びの心理学研究会<アウエアネス> 事務局
郵便の場合:〒101-0062
東京都千代田区神田駿河台1-1 明治大学14号館6階B611
「気づきと学びの心理学研究会事務局」Eメールの場合
*FAXの場合
03-6893-6701
ほかにも、次の本が絶賛発売中です。
まず、『読むだけで心のクヨクヨがふっきれる22の方法 (王様文庫)』です。
この本は、人の目を気にせず、自分らしく生きるための技術を、わかりやすく、さらっと伝えてあります。
だけど、読んでいただくと、わかりますが、結構深い内容も書いています。
また大好評の『男の子の育て方』につづいて多くの方に読んでいただいているのが『女の子の育て方~「愛され力」+「自立力」=「幸福力」。0~15歳児の親が必ずしておくべきこと。~』 です。
わが娘にしあわせにってほしい・・・と願うすべての親御さんに「女の子がほんとうに幸せになるための、とっておきの秘訣」をわかりやすく伝えてあります。
自分一人でも生きていける「自立力」と、「愛され力」の二つが、女の子の幸せのキーワードです。
最後に、カウセリングを学んでいる方、教えている方、カウンセラーの方、傾聴を学んでいる方・・・すべての方にぜひ読んでいただきたいのが、今年一番の労作『はじめてのカウンセリング入門』(上 ―カウンセリングとは何か)(下 ―ほんものの傾聴を学ぶ)の2巻です。
この2冊を読むと、カウンセリングの一番大切なことがわかる・・・そんな「決定版」のつもりで書いた5年越しの力作です。
ぜひこの冬休みにお読みください。
では、また・・・。
以下の本もよろしく!
更新日:2010.12.29
*JTA関係のセミナー情報です。申し込み・お問い合わせは各主催にご連絡ください。
12/25(土)26(日)27(月)&28(火)
『年末集中プロセスワーク入門セミナー
~プロセスワーク曼荼羅(マンダラ)』
*12/28(火)は
「関係性、カップル、家族のライブスーパービジョン・セミナー」
プロセスワークは日常次元における多様性に加えて、
意識(心)と現実の多次元性を肯定します。
これは横/水平次元と、縦/垂直次元を縦横無尽に動き回るプロセス(それは錬金術の「メリクリウス」に当たるでしょう)を受容し、フォローするために想定したプロセスワークのフレーム(枠)です。
この枠は、ケン・ウイルバーの「無境界」に近いものですが、それをイメージで顕したものが密教の曼荼羅、ヒンズー教のヤントラ、タオイズムの陰陽、アメリカ先住民の砂絵などです。それらには、仏や神だけでなく、悪魔や怪物たちが描かれ包容され、居場所を与えられています。
ユングは対立物の結合に、四角形を経た丸、つまり曼荼羅を理想の形として夢見ましたが、それはプロセスワークの一次と二次プロセスとエッジ、ワールドワークのゴーストロールを包括するフレームです。
しかしそれは「枠」であっても「無」境界であり、そのためプロセスワークは、夢やドリームボディの次元を超えて「非二元、無、空」という次元を、東洋思想を参考に想定するに至りました。
この枠は、プロセスワークの中心概念であるアウェアネスや深層民主主義と表裏一体となっています。
この三日間のセミナーでは、曼荼羅を受け皿に、プロセスワークの基本と最前線について学びます。
また講師の今年一年の臨床経験を織り込み、メリクリウスとの関係作りについても検討します。
プロセスワークの基礎から最前線まで全般を集中して学びたい方、対立物や矛盾したプロセスの結合、曼荼羅,ヤントラ、砂絵に関心のある方、ホリスティック心理療法、トランスパーソナル心理療法、臨床心理学、カウンセリング、コーチング、家族療法、ボディワークに関心のある皆さまのご参加をお待ちします。
===追記(2010年12月18日)
癒しが生じる上で最も大事な点の一つは、問題、症状、悩みを「縦次元」に置き換えることです。
たとえば「うつ」が問題になっている場合、医学的次元で治療を目標にそれと取り組むと共に(これは日常的次元、横次元でのアプローチです)、地下世界に向かうプロセス(つまり縦次元のテーマ)と仮定する(リフレームする)ことが重要です。
うつは英語で"depression"ですが、これは"de(下方向へ)"+"press(プレスする、圧する、押)"+"ion(名詞形)"から成っています。
つまり英語のdepressionは「うつとは下へに向かうことを強要するプロセスである」ことを暗示しているのです。
これはシャーマンの地下世界への旅や、錬金術の第1変容段階である「ニグレド(黒化)」と考えることができるかもしれません。(これはdepressionの語源に寄り添う考え方ですね。そういった意味ではタオイスト的
アプローチです!)
そうするとうつは単にマイナスの医学的問題であるばかりでなく、シャーマニズム的には魂の深みへの旅の始まりであり、錬金術的には変容の第一歩となっていきます。
シャーマニズムは世界を「天上界、地上界、地下世界」の3世界、つまり「天地人」という風に縦次元に分けますが、これは各神秘主義の「1、2、3、4、5、・・・次元」やプロセスワークの多次元性、レインボー(虹)の基礎となっています。
この年末セミナーでは私たちの心、魂、意識、世界、リアリティを、多層的、多次元的に見ていきます。
これは「曼荼羅(マンダラ)」セラピーにとっての基本ですが、問題、症状、悩みをシャーマン的、錬金術的、多次元的に見直す(リフレームする)トレーニングを、体験を通じて行ないます。
プロセスワーク、トランスパーソナル心理療法、錬金術的セラピー、シャーマニズム的ファシリテーション、神秘主義的カウンセリングにご関心のあるみなさまのご参加をお待ちしています。
=======(2010年12月19日追記)
昨日、年末集中基礎セミナーでは、
私たちの心、魂、意識、世界、リアリティを、
多層的、多次元的に見ていくと述べました。
それにはそれを可能とする新たな枠/フレームが
必要とされます。そしてその一つがチベット密教や
真言密教で有名な「曼荼羅(マンダラ)」です。
マンダラは周知の通り、ユングがセルフ(Self/自己)
の象徴の代表的なもの一つと述べたところから
心理療法家に注目されるようになりました。
それは自我(意識の中心)を超えた新たな、広くて
深淵な意識+無意識の中心でありその両者を含む
全体です。
自我を普段の「私/私たち」とすると、
セルフやマンダラは「私/私たち」+
「あなた/あなたたち」を包含するものです。
ワールドワーク的に言うと「内」+「外」、
「味方」+「敵」となります。
そうしたことが可能になるには、ワールドワークや
私たちの内的フレーム(枠)やフィールド自体が、
セルフ的、マンダラ的に変容するる必要があります。
ですからマンダラには仏や神々だけでなく、
悪魔や怪物が招かれ、居場所を当てられ、
描かれているのです。
そのためには、ワールドワークの参加者や
わたし/わたしたちが変化するのでは事足りず、
ワールドワークのフレームやわたしを含む場自体が
質的変化をしなければなりません。
セルフの他のシンボルに、対極図/陰陽図があります。
これも、図の全体イメージとは、同じくわたしたちの
全体性とは、光の当たっている「陽」だけでなく、
光の当たっていない闇、すなわち「陰」があってこそ
となります。
私/私たちは対極図の一部でしかなく、対極図=
全体性の実現からすると、そこのには陰、あなた、
敵が不可欠なのです。
さらに言えば、ユングにとって個性化/自己実現の
過程とは全体性への道であり、そのためにはセルフ、
マンダラ、陰陽図の受容、肯定への過程でもあります。
そうした意味では、このセミナーは対極図(タオイズム)
心理療法セミナーのトレーニングの場でもあります。
タオ・セラピー、プロセスワーク、トランスパーソナル
心理療法、錬金術的セラピー、シャーマニズム的
ファシリテーション、神秘主義的カウンセリングに
ご関心のあるみなさまのご参加をお待ちしています。
初心者の方も大歓迎致します。
タオイズム心理療法についてもみなさまと学ぶ機会を
楽しみにしています。
日時:12月25日(土)26日(日)27日(月)
10:00~17:00(9:50開場)
*28日(火)は「ライブスーパービジョン・セミナー」です。
講師:富士見ユキオ
場所:都 内
参加費:1日参加 :21,000円(税込)
2日間参加:41,000円(税込)(1,000円割引)
3日間参加:60,000円(税込)(3,000円割引)
お問い合わせ先:プロセスワーク研究会
FAX:03-5570-2860
EMAIL:
更新日:2010.12.18
■こころの垂直軸を取り戻すこと。「深さ」の次元を取り戻すこと。それが、この世界を意味あるものとして受け取りなおし、人類規模のうつの進行から救うための根本的対応策である。
■10月9-10日 「ほんものの、深い傾聴」を学ぶ最大のチャンス「フォーカシング・アドバンス・コース」開催迫る!
今日、ある新聞記者の方が「生きる意味」について取材にこられました(掲載は新年になるそうです)。
そこで私が答えたことの、ほんの一部は、次のようなことでした。
「今、この世界には、人類規模のうつが蔓延しています。
先進国の多くの人が、生きる意味と方向の感覚を失ってしまっているのです。
そしてその背景には、この世界を、のっぺりとして、まったいらな、フラットランドとしてとらえられなくなってしまっていることがあります。
今、人類に必要なのは、人間には本来、崇高な精神が宿っていること、それを取り戻すことが本来の生き方につながっていくことを思い出すことです。
言い換えれば、この水平化された平らな世界に「垂直軸」を取り戻すこと、崇高さや、深さといった次元を取り戻すことです。
生きる意味は、頭で考えて手に入れるものではありません。生きる意味は、考えるものではなく、感じるもの、味わうことのできるものです。大切なのは、こう生きればいいのだ、という人生の方向性の感覚を取り戻すことです。
しかし、こうしたこころの深さの次元に一人でいくのは難しい。必要なのは、こころの深い次元でつながっているつながり、深いところでつながっている関係です。そしてそのための最良の手段は、傾聴、ただ聞き流すような傾聴ではなくて、ともに深いところにとどまっていられるような傾聴、深い、ほんものの傾聴です。
深い、ほんものの傾聴を身につけ、実践する人が増えてくれば、自分の深いところに触れて生きていくことができる人が増えていきます。そしてそれがいつかは、この世界に「深さの次元」「垂直の次元」を取り戻すことにつながり、「世界規模のうつ」の感覚を減少させ・・・・・・・・何よりも、自分の深いところに触れて生きていくことができる人が、人類規模で増えていくことにつながるでしょう。
私は、このことこそ、今、世界でもっとも必要とされている内面的な、静かなる革命だと思います。
そして、そのための最強のツール・・・シンプルで、深い方法=「ほんものの傾聴」です。相手とふかいところでつながり、そこにとどまり、アドバイスものせず、質問もせず・・・・ただ「聴いていく」というこのシンプルな方法です!」
いかがでしょう。
私は、このように、「ほんものの、深い傾聴」を多くの人が身に付けることが、人間関係の質を変え、個人の生き方を変え、社会を変え、世界を変えていく・・・「人類」の質を深みのあるものに変えていくことにつながっていくのだと確信しています。
その「ほんものの傾聴」について書いたのが、最新刊、『はじめてのカウンセリング入門(下)―ほんものの傾聴を学ぶ』(誠信書房)です。
私がつくった、5ステップ式傾聴トレーニング法により、より深い、ほんものの傾聴を身につける術を説いた本です。
そして、この「ほんものの傾聴」「深い傾聴」を、フォーカシングのエッセンスを取り入れて学ぶことができる、年に1回の貴重なトレーニングコースが、10日後に迫ってきました。
フォーカシング・アドバンスコース・ワークショップです。初心者の方でも、また、経験者の方でも、深い学びが可能な内容になっています。
「フォーカシング・アドバンスコース」に参加されると、次 のような、学びが可能になります。
1)お互いが、自分の内側深くに触れて、内側のこころの動きに、ていねいに意識を向けたもの同士が、「インタラクティヴ・フォーカシング」の方法を学ぶことで、深い、こころの相互交流をすることが可能となります。そしてそれによって・・・自分ひとりでは不可能だった、深い気づきや学びがもたらされます。「フォーカシング・アドバンスコース」2日間の内容で、カウンセリングを10回くらい受けた深い気づきと学びを得ていく方が少なくありません。
自分自身でも「え・・・」と驚くような予想外の、気づきと学びを可能にしてくれるもの、それが「インタラクティヴ・フォーカシング」です。アドバンスコースではこの方法を中心に学んでいきます。
それは、事前の予想をはるかに超えた、意外な気づきを与えてくれます。
2)これまでの傾聴の学習では習得不可能だった「深い、ほんものの傾聴」を身に着けることができます。
「はじめてのカウンセリング入門(下)―ほんものの傾聴を学ぶ」(誠信書房)で私は、傾聴に5段階の格付けをしました。ふつうの傾聴の練習では、ランクAの「過不足ない、的確な傾聴」までしか学ぶことができません。しかし・・・この「フォーカシング・アドバンスコース」では、それを超えて、「より深い気づきへとクライアントさんを誘っていくことができるランクAAAの傾聴」までをも体得していくことができます。
いかがでしょうか。
まったくはじめてという方から、フォーカシングをかなり学ばれた方まで大歓迎です。ほかの講師では不可能な、諸富流の「フォーカシングの世界」をじっくり堪能することができます。ぜひご参加ください!
●2010年10月9日(土)・10日(日)
フォーカシング.ワークショップアドバンス・コース/h2>
気づきと学びの心理学研究会<アウエアネス> 主催
フォーカシング・・・それは、自分の"こころの声"を聴く方法のこと。
このコースでは、ていねいに、こころの声を聴くことを体験するとともに、カウンセリングの実際や生き方の改善に具体的にどう使うかも学んでいきます。また、インタラクティブ・フォーカシングやホールボディ・フォーカシングをとおして、 より深い出会いを体験していきます。これまでにない「最上レベルの深い真実のふれあいと共感、傾聴」を学ぶ!カウンセリング・スキルアップ上級編!!
日程・会場
【講師】 諸富祥彦
明治大学文学部教授、日本トランスパーソナル学会長、臨床心理士
【日時】 2010年10月9日(土)・10日(日)10:00-16:40
【場所】 都内
* 会場は問い合わせのあった方にご連絡します
【参加費】 参加費28,000円
*アウエアネス会員2,000円割引
-昨年までに本研究会に参加された方の割引
*日本トランスパーソナル学会会員1,000円割引
申し込み先
1)ご希望のワークショップ名
2)お名前
3)郵便番号・住所
4)連絡先(電話、FAX、Eメールなど)
5)トランスパーソナル学会会員、アウエアネス参加有の場合はその旨
をご記入の上、メール、FAX、郵便のいずれかでお申し込みください。
気づきと学びの心理学研究会<アウエアネス> 事務局
郵便の場合:〒101-0062
東京都千代田区神田駿河台1-1 明治大学14号館6階B611
「気づきと学びの心理学研究会事務局」
Eメールの場合
*FAXの場合
03-6893-6701
■割引コースのご案内
年に1回しか開催しないワークショップ、みなさん、ぜひおこしください!
最近、見た映画でよかったのは「カラフル」と「食べて、祈って、恋をして」。「カラフル」は、子育て中の方や、思春期のお子さんにかかわっている教師やカウンセラーなど、すべての方々にぜひおすすめの映画。そして「食べて、祈って、恋をして」は、生きるのに迷い始めた女性が、たどる「自己変容の旅」の物語。カウンセリングや心理学を勉強している方なら、かなり楽しめると思います。「いいかね・・・・・何かに夢中になって自分を見失い、心の調和を崩すことも、より大きな意味でいうと、こころの調和を保つプロセスの一部なのだよ!」
<追記>
世界に蔓延するうつ的傾向について、最近思うことがある。その根本原因とは何であるかについて。
先進国で生きる多くの人にとって、人生はつまらないもののように感じられはじめている。先進国の多くの人がうつ状態にある真の原因はそこにある。つまり、うつとは、生きるのがつまらなくしか感じられない、この世界が陳腐で、まっ平らでつまらないものしか感じられなくなっている、ということにほかならない。それ以上でもなければ、それ以下でもないのだ。
私たちは、何か、ほんものにふれたときに、その独特の、熱さ、厚み、深さ、切れ味などを感じることができる。たしからしい手ごたえを感じるlことができる。そのときに、私は、この人生、この世界を生きるに値するものとして受け取りなおすことができるのだ。
ほんもののスピリリティはそこにある。
いわゆるスピリチュアルっぽいものの中に、私はスピリチュアルを感じることはない。それは、ほんものらしい輝きや空気を放っているものになら、どこにでも転がっている。たとえばコカ・コーラを飲んで、その完成度の高さにうなったことはないだろうか。そこにはスピリチュアリテイがある。
つまりはにせものと、ほんものの違い。アントニオ猪木のプロレスの動きに、私は完成された美を、この世とこの世を越えた何かとが交錯し、炸裂する超越的な美が輝く瞬間を感じることができる。
こうしたほんものの輝き、炸裂する美とそれが放つ熱に触れたとき、私たちは自分の人生を、意味あるものと実感して生きていくことができる。
人間が生きていくうえでこれ以上、不可欠なものはない。
うつが増えているということは、この世界に、ほんものを感じることが難しいと感じている人が増えているということだ。人間とは、なんだろうか。人生とは、なんだろうか。もし、こうしたほんもの輝きを感じ、生きる意味を感じながら生きていく、深さと、厚みと、時代の熱を感じながら生きていくのが人生なのだとしたら、いまのこの時代の、妙に乾いたこの感覚を伴うこの人生は、果たして人生といえるのだろうか。言葉にしなくても、先進国に暮らす私たちの多くはそう感じている。そしてその背景にあるのは、ほんものとにせものの区別をなくしてしまう、どれもおなじだよ、区別なんかしたいけないよという、相対主義的ムーブメントだ。
人類にとって、世界をまったいらなフラットランドにしてしまう相対主義ほど危険なものはない。それは、私たちの人生からほんものとにせものの区別を奪ってしまい、生きる意味を実感して生きていけるような有意義な人生につきものの、あの厚みと、深さと熱とを奪ってしまう張本人にほかならない。
相対主義に×を!
以下の本もよろしく!
更新日:2010.09.29
【その40】パワハラ撃退 その1
パワハラにあってしまった場合、多くのケースでは、被害者は、なすすべもありません。そして被害者の中から、精神的不調に陥ってしまう人が出てくる場合もあります。パワハラは、地位を背景にしていて、しかも人事考課の査定という人質をとっていますから、なかなか対抗策を打ち出すことも難しいのです。さらに、パワハラをするハラサー達は、さらに地位が上の人達には、都合のいい情報しか流さないことが多いですから、困ったものなのです。
しかし、中には、見事にパワハラを撃退した例があります。
その会社(仮にA社としておきましょう)のB部長(男性)は、人前で部下を怒鳴りつける、しつこく説教する、人格攻撃をするなど、典型的なハラサーでした。また、始末に悪いのが、C課長(男性)で、彼は、B部長のイエスマンで、B部長といっしょになって、部下を攻撃していました。その職場は、女性が多い職場でした。
B部長も、C課長も、パワハラだけではなく、セクハラ的な言動もありました。部下の中には、不安障害になり、出社できない人も出てきていました。
B部長が赴任した当初は、きびしいけれど元気な上司という感じだったのですが、次第に暴言が多くなっていきました。C課長の前任のD課長は、B部長と部下との防波堤になってくれていたのですが、C課長に代わってからは、パワハラは留まるところがなくなっていきました。部下達は、休み時間やアフターファイブには、B部長やC課長に対する不満を述べていたのですが、その不満のはけ口はなく、事態はまったく変わりませんでした。
そんな時に、ある事件が起きました。
職場の中堅のEさん(女性)が、仕事上でちょっとしたミスをしました。Eさんのミスは、大したものではなかったのですが、B部長は激怒し、C課長が援護射撃をするといういつものパワハラパターンになり、Eさんは、課員の前で、ふたりから怒鳴られてしまいました。こうした光景は、それまでもしばしばあったのですが、その時、B部長とC課長がとんでもない暴言をはきました。
C課長は、Eさんに、「そんなことだから、だんなに逃げられるんだよっ!」と、仕事とは関係ないプライベートなことを持ちだしてきたのです。B部長は、C課長の発言を注意することもなく、「まったく、どうしようもねぇーな!」と吐き捨てるように言い放ちました。
Eさんは、仕事上のミスをとがめられるのなら耐えられたのですが、離婚と言う業務とはまったく関係のないことを責められたことにショックを受け、その日早退し、次の日も会社を休む事態になりました。
この一部始終を聞いていた他の課員たちが、B部長とC課長の発言に激怒したのです。その場では、皆だまっていたのですが、Eさんが休んだ日の夜、職場のみんなで集まって、B部長とC課長は許せないということになりました。怒りをあらわにしたのは、10人いた女性課員で、2人の男性課員は、女性たちの勢いに引っ張られたというかっこうでした。
彼らは、その後も何度かパワハラにどう対応するか話し合うためのミーティングを行い、ある作戦をたて、そして、その作戦を実行することにしたのです。
まず、女性課員のFさんGさんが中心になって作った、「B部長、C課長のEさんに対する発言は許されるものではない、また、これまでの彼らの言動はパワハラである」という内容の書面に、課員全員がサインをしました。
その次の日、作戦は決行されました。
向後善之
日本トランスパーソナル学会 常任理事 事務局長
ハートコンシェルジュ カウンセラー
更新日:2010.09.16
【その39】パワハラの実態・・その3
ちょいと、補足しますが、D課長がなぜパワハラなのか解説しましょう。
D課長の言動は、一貫性がありません。自分がプロジェクトの批判をしていたにも関わらず、A氏が同様な理論を展開し始めると、今度はA氏を徹底攻撃し始めています。これは、まったく矛盾した言動です。しかも、「無礼講だ」という言葉に従って、A氏は自説を述べたわけですから、A氏には、非難されるいわれはありません。おそらく、D課長は、A氏のプロジェクト批判が、D課長の許容する範囲を超えたのでしょうが、火をつけたのはD課長であり、そうした火がなければ、A氏は、管理職の前でプロジェクトの批判をするはずはないのです。
D課長にすれば、A氏はD課長の気持ちを推し量りながら、「無礼講だ」と言われても、「いや、私には、上の方々の考えにどうこういう立場にありません。我々若いものは、上の方から言われたことをやるだけです」などと、控えめに答えるのが理想なのでしょう。
しかし、自分の思い通りに他人が動くはずという思いこみは、ハラサー(ハラスメントをする人)の特徴です。自分の思いなどというものは、他人にはわからないのが当たり前です。思いを分かってもらおうとしたら、本来は、きちんと説明しなければならないのです。ハラサーは、相手が自分の感覚を理解し、自分の気持ちよいように行動をとるだろうと言う都合のよい予測があります。しかし、それは自己中心的で傲慢な予測です。
A氏の言葉の中に、なにかD課長の気に障ることがあったのでしょうが、その根拠は、明確には示されていません。彼は、自分の思い通りに発言しなかったことに腹を立てているのでしょう。ですから、D課長は、自分の怒りの根拠を、論理的に明確に示すことができなかったのです。その代り、「生意気だ」、「10年早い」など、本来の論旨と違う精神論のカテゴリーに話をすり替えています。これは、カテゴリーエラーと言われるもので、ハラサー(ハラスメントをする人)が、よく使う手口です。
また、D課長の止まらない説教もハラサーの特徴です。D課長は、最初の焼き鳥屋での30分の説教だけではなく、最後にA氏と会ったスナックでも、C課長からの静止があったのにもかかわらず、すきを見てはA氏の攻撃をしています。ハラサーは、自分の怒りを抑えることができないのです。
そして、A氏の言い分を、D課長はまったく聞こうとしていません。ハラサーにとっては、自分の意見だけが絶対なのです。しかし、自分より強い立場の人に対しては、そうした傲慢なふるまいは表に出さず、むしろ従順です。「もし言ったら、お前がやったことをおれは、会社に話すぞ」というC課長の言葉に従う姿勢は、C課長の発言の背景にある会社という存在を恐れたからに他ありません。
では、A氏はどうすればよかったかと言うと、D課長のハラスメントを収めるという観点では、どうしようもないのです。「すみませんでした。言いすぎでした」と言ったところで、D課長の攻撃は収まりません。「なんで、君は、自分の言葉を、そうやってすぐに翻すんだ。そういうところが、最近の若い奴は根性がないんだよ」などとなじられるのが関の山です。
A氏のできることは、D課長の言葉をまともに受け取らないことです。要は、D課長のようなハラサーの言葉に巻き込まれず、D課長の理論に従って自分を批判しないことです。まあ、黙っているけれど、納得はしないというのがとりあえず妥当な態度でしょう。
A氏のまずかったのは、最後にD課長と会ったスナックで、早く退散しなかったことです。ハラサーは、相手が降伏するまで、あきらめないので、さっさと退散してしまった方が得なのです。
しかし、向こうっ気の強いA氏は、退散する代わりに、D課長を睨みつけてしまいました。これは決定的なミスと言えます。相手を見るのは、問題ありません。ただし、ハラサーの怒りモードに巻き込まれて、ハラサーと対決する姿勢で睨みつけるのはいけません。A氏は、睨みつけた時、すでに喧嘩モードになっていました。ハラサーを見るのなら、冷静に相手を見ることです。これは、なかなか難しいんです。自分の呼吸に注意を向け、自分の中に怒りがあっても、その怒りをじっと見つめる落ち着きが必要です。A氏の場合、自分の怒りに飲み込まれていました。そして、そのとき、「やるんなら、やるぞ」という気持ちになってしまっていたのです。そうなると、ハラサーの次のアクションは、キレる以外ないのです。
ハラサーに対しては、じっくり呼吸を落ち着けて、ただ全体を眺めるような形で、相手を見るのがよいです。下を向いていると不安・恐怖が強くなりがちです。逆に、顔をあげて、全体を見ることで、恐怖のレベルは下がります。しかし、睨みつけてしまうと、双方の怒りがエスカレートしますので注意してください。落ち着いてハラサーを見つめ、自分のペースをくずさなければ、ハラスメントのエネルギーは次第に弱まってきます。
余談ですが、呼吸を落ち着けて相手を見るというのは、熊に出会った時の最も良い対応法なのだそうです。そうすると、熊は人間の視線から目をそらし、去っていくのだそうです。これは、最近、北海道旅行に行った時、地元の人から聞きました。
熊が去っていくのですから、ハラサーは、その場にいたたまれなくなるのは、当たり前と言えば、当たり前です。
A氏は、怒っているのは当然としても、「やるんならやるぞ」という考えは避けるべきだったのです。怒りがあっても戦わない姿勢が必要なのです。
ハラサーの攻撃を受けた時、C課長のような、公平で冷静で、毅然とした態度をとれる度胸のある人に相談できると、いいのですが・・。そういう人が必ずいるわけではありません。
ただ、ハラサーは、やがて必ず別の人にも同じようなハラスメントをしますし、過去にも同じような事件を起こしていることでしょう。そうした事実は、やがて隠しようが無くなります。いつか、ハラサーには、よくない評判が立ち始めます。ハラサーは、やがて失脚するのです。
もし、うまく失脚せず、いつまでもハラスメントが止まらないようだったら、パワハラ相談室に報告することです。その際、できるだけ多くの賛同者がいるのが理想的です。また、ハラスメントの具体的な内容を記録しておくこともいいでしょう。
そして、ときには、パワハラ相談室の責任者がハラサーの場合があります。その場合は、その上の人に訴えるしかありません。しかし、社長自体がハラサーの場合、これは、社内では打つ手がありません。その場合、戦うのなら、法的手段に訴えるか、そんな会社には、こちらから見切りをつける決断が必要になります。
パワハラとは、やっかいなものです。
向後善之
日本トランスパーソナル学会 常任理事 事務局長
ハートコンシェルジュ カウンセラー
更新日:2010.08.28
*JTA関係のセミナー情報です。申し込み・お問い合わせは各主催にご連絡ください。
対人援助職において最も重要なことの一つは
関係性(対人関係)をいま・この場でどう捉えるかです。
それに最も貢献したのは新旧のフロイト派の精神分析です。
そこでは対人関係を「投影」「転移/反対(逆)転移」
「投影同一化(同一視)」「エナクトメント」
「間主観的感性」などといったパースペクティブ
から捉え直しています。
プロセスワークはこれに「ドリームアップ」
「ゴーストロール」といった重要な視点を
プラスしています。
上記の各観点や議論は小難しい机上の空論ではなく、
体験した者にとってはとてもリアルで「はっ」とさせられる、
深く納得させられる、また他者理解、自己理解にとって
大変有益なツールです。
例えば、セラピストが「カウンセリグに失敗した」と
内心思ったとしましょう。
これは個人(アトミズム、古典物理学)の立場からは
失敗かも知れませんが、
『関係性』のパースペクティブからは、
セラピストが「失敗した」という体験(こそ)が、
クライエントが(内心)抱え続けて来た
「失敗した、人生を後悔している」などの想い、傷つきに
深く共感/理解し始めるている(第一歩な)のかも
れないのです。
という意味では、関係性の観点からは「セラピストの失敗」は
成功です。いや、関係性の立場は、対人援助職における
失敗を失敗として留めず、一見マイナス(負)に
映った体験をどう活かすか、
意味を見出すかとという点に焦点を当てます。
そういった意味では関係性はプロセスワークのエッセンスを
体現した立場です。
一人で行なう瞑想やアートと異なり、対人援助職は
関係性(のチャンネル)を排他的に重視する必要があります。
関係性を中心としたセラピーは、また、関係性を
夢として捉えることを後押しします。
たとえば、セラピストの失敗体験はクライエントを
深く理解するために「関係性(という夢)」が
仕組んだ罠(笑)(のよう)です。
私たちの理性や自我ではどうしてもクライエントを
理解できない時があり、そうした意味ではセラピストの
失敗は必要不可欠です。
(なぜでしょう?それこそは関係性という夢を理解する肝
なおですが、それについてはこの講座を楽しみにして
下さい!)
私たちを罠にかける関係性は、まるで「魔法」です。
繰り返しますが、それは夢のようです。
セラピストが失敗するという悪夢や魔法は
クライエントの癒しには不可欠なのです。
セラピストは自らの失敗をクライエントの
利益のために活かす術を身につけなければ
なりません。
関係性を中心としたカウンセリングは、クライエント
だけでなく、何とセラピストをも常に「関係性
という場」におけるクライエントに仕立て上げる
とも言えるでしょう。
セラピストは関係の場の外における客観的な科学者の
立場に居ることは不可能です。
セラピストはクライエントのプロセスに常に
巻き込まれ、またセラピストはクライエントを
いつも絡めとります(勿論、無意識にです。無意識に、
であるため余計にやっかいです)。
両者とも同じ(関係性という)場の中にいますので、
そういった意味ではセラピストもセラピストである
と同時に、(繰り返しますが)「関係性」のクライエント
でもある、といった仮説が重要です。
これは量子論に基づいた見方ですね。
ところで、この時、関係性の場にいる両者
(クライエントとセラピスト)を俯瞰的に見る
アウェアネス(自覚/気づき)がさらに必要です。
このアウェアネスはクライエントーセラピスト
関係をいま・この場で見守っているという意味で、
「内なるスーパーバイザー」と呼べるでしょう!
ちなみにこのスーパーバイザーの目を身につける
ことができると、セラピストはクライエントの
中に、内なる/潜在的なセラピスト(または自己治癒力)
を発見し応援しやすくなります。
といった立場から、
「関係性を中心としたライブ・スーパービジョン連続講座」
が新たに始まります。
初心者にも十分に理解できるクラスです。中級者、
上級者にも満足いただけると思います。
みなさまのご参加をお待ちしています。
詳細
日時:10/14(木)~毎月、第2木曜日
19:00~20:50
回数:10回
人数:10名前後(先着順)
場所:赤坂
参加費:初めての方:105,000円
2回目以降の方:94,500円
講師:富士見ユキオ
お問い合わせ先:プロセスワーク研究会、
「臨床ホリスティック/トランスパーソナル
カウンセリング研究所」
fax:03-5570-2860
URL:www.fujimi.in
このクラスは「臨床ホリスティック/トランスパーソナル
カウンセラー養成講座」の単位となります。
更新日:2010.08.28
【その38】パワハラの実態・・その2
狭い店だったので、C課長とD課長は、すぐにA氏とB氏をみつけ、彼らのボックスにやってきました。「なんだ、お前らも来てたのか」とC課長。D課長は、なにも言わずに席に着きました。C課長は、「もう説教は終わりだぞ」とD課長に言い、A氏、B氏、C課長は、いつものように楽しく馬鹿話を始めました。しかし、D課長が、再びA氏に向かって、先ほどの焼き鳥屋と同じ話を始めたのです。「お前は、若いくせになまいきだ」、「お前らは、上の言うことを聞いて黙って仕事しろ」などなどです。C課長は、D課長に「いいかげんにしろ。だいたいお前は、Aと同じこと(プロジェクトに関する不満)を言っていたじゃないか」と、少々怒った顔でさとしました、D課長もさすがに、その時は、黙ったのです。
ところが、D課長の沈黙は長くは続きませんでした。C課長がトイレに立ったとたん、再びA氏に対する説教が始まったのです。内容は、まったく同じです。気の強いA氏は、何も返事をせず、D課長をじっと睨みつけました。沈黙をしながら、じっと自分を睨んでいるA氏に対し、D課長は、言葉を失いました。すると、その瞬間、D課長は、立ち上がり、テーブルにあった水割り用のピッチャーをつかむと、A氏の頭にピッチャーの中の水をあびせかけ、そのまま店を出ていきました。
その後、事件が起きました。A氏は、立ち上がり、D課長の後を追い、ドアの外で、D課長の名前を呼びました。もちろん、「D課長」などと呼びません。「おい、D」と、呼び捨てです。振り返ったD課長に向かって、A氏は、右ストレートをD氏の胸に一発決めました。そのとき、A氏は、非常に冷静でした。ドアの外で声をかけたのは、店に迷惑をかけないためでしたし、顔ではなく、胸を狙ったのは、D課長が脳しんとうを起こしてしまうことを避けたからです。そもそも、キレた人は、たいていフックになってしまうのですが、A氏は、冷静にストレートをくりだしたのです。D氏は、その場にうずくまり、A氏は、だまってそれを見ていました。A氏は、それ以上D氏をなぐる気はありませんでした。一発で十分な手ごたえ� ��あったからです。そして、そのとき、A氏は、会社を辞めることを覚悟していました。管理職を殴るなど、サラリーマンにはあってはならないことだからです。これは、一瞬のできごとでした。
そこへ、スナックのママさんが、「やめてー!」と叫びながら出てきました。また、その後から、トイレから出てきたC課長が、「A、やめろ!」と飛び出してきました。
しかし、うずくまっているD課長を見たC課長は、「おそかったか」とつぶやき、A氏に向かって、「A、もういいだろう」と言葉をかけました。そして、C課長は、D課長に向かって言いました。「今日のことは、D、お前が全て悪い。今あったことは、だれにも言うな。もし言ったら、お前がやったことをおれは、会社に話すぞ。」息も絶え絶えだったD課長は、力なくうなづきました。さらにC課長は、ママさんと、もうひとりいた店の女の子に「今あったことは、だれにも言わないように」と口止めをしました。C課長も、とても冷静だったのです。そして、幸い、店には、他に誰も客はいませんでした。
その後のA氏ですが、なんのおとがめもなく、無事にサラリーマン生活を続けました。D課長も、だれにも何も言わなかったのです。C課長の「もし言ったら、お前がやったことをおれは、会社に話すぞ」が効いたのでしょう。事件がばれてしまったら、A氏はまずい立場に追いやられるでしょうし、会社に居場所が無くなって退職するかもしれません。しかし、同時にD課長の立場も無くなってしまうからです。
僕は、ここで、暴力はよろしくないという議論はするつもりはありません。同時に、A氏を擁護するつもりもありません。
そして、D課長の行為は、パワーハラスメントと言えます。彼のA氏に対する攻撃は執拗で、論理に一貫性がなく、攻撃のための攻撃であり、さらには、A氏に頭から水をかけると言う行動にまでエスカレートしていきました。
これまでのお話しの中からお伝えしたいことは、次の5つです。
1)パワハラは、しつこい。
2)パワハラは、相手を徹底的に侮辱する。それは、理不尽な行為である。
3)パワハラに対し、冷静に正当にジャッジする人がいて(この場合はC課長)、その人が毅然とふるまえば、パワハラの被害者は、救われる。
4)パワハラをするような、いわゆるハラサーには、根底に怯えがある。だから、A氏の沈黙にD課長は耐えられなかったし、「もし言ったら、お前がやったことをおれは、会社に話すぞ」というC課長の言葉に従わざるを得なかった。
5)パワハラが新たな暴力を生むことがある。
つづく
向後善之
日本トランスパーソナル学会 常任理事 事務局長
更新日:2010.08.23
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