2012年3月28日水曜日

エホバの証人の夫たち


 エホバの証人の妻が非信者の夫に示す態度についてはどうでしょうか。
 エホバの証人の対立教派は、「エホバの証人の妻は悪魔である非信者の夫に反抗するよう教え込まれている」と強硬に主張しています。
 しかし、エホバの証人の出版物はこのように証人たちを教えています。

「神権政治(神の支配)に対する敬意は、家庭で始まります。妻の立場にあるクリスチャンは ― 夫が仲間の信者であるにせよないにせよ ― 夫の権威に対して当然の敬意を示していないなら、神権的な人(神の支配に従う人)とは言えません。ちょうど、クリスチャンの男性がキリストの頭の権に服さなければならないのと同じように、クリスチャンの女性も神がお与えになった夫の権威に服することの知恵を認めるべきです。そうすれば、女性は深い内面的な満足を味わうことができ、より重要なこととしてエホバの祝福を得られるのです」。(「ものみの塔」誌1994年7月1日号)

 エホバの証人がこのように考えるのは、聖書のエフェソス人へ手紙 5章22節から24節がこのように命じているからです。

「妻は主(イエス・キリスト)に対するように自分の夫に服しなさい。夫は妻の頭だからです。それは、キリストが会衆の頭であり、この体の救い主であられるのと同じです。そうです、会衆がキリストに服しているように、妻もすべての事において夫に服しなさい」。

 エホバの証人は、聖書のこの命令が、夫がエホバの証人でない場合にも適用されると考えています。
 なぜでしょうか。
 それは先に指摘したことと同じです。
 結婚は神によって取り決められたものであり、神は結婚した者が「一体となる」と述べておられるからです。
 そこで、「ものみの塔」誌はこのように述べています。


命名の儀式は何ですか

「クリスチャンである妻は、家庭で(神の支配に対する)敬虔な専心を実践する責任を負っています。どのような責任でしょうか。妻は自分の夫に『服する』べきであり、夫に「深い敬意」を払うべきである、と聖書は述べています。たとえ夫が信者ではなくても、妻は夫に『服する』必要があります。クリスチャンの女性は、夫の下した決定が神の律法と矛盾しない限り、それを支持することにより、そのような妻としての服従を実証します。では、妻がこの役割を受け入れるのはなぜですか。自分の夫を愛しているからでもありますが、それだけではなく、それが「主にあってふさわしいこと」、つまり家族のための神の取り決めであることを認めているからです。� ��のようなわけで、妻が自分の夫に進んで従うのは、(神の支配に対する)敬虔な専心の表われです」。(「ものみの塔」誌1990年3月1日号)

 さらに、エホバの証人の出版物は、妻が非信者の夫に不敬を行うことも禁じています。

「妻が夫から敬われ深く愛されていると感じる必要があるのと同じように、夫も自分が妻から敬われていると感じる必要があります。敬意を抱く妻は、夫がクリスチャンであるかどうかにかかわりなく、夫の間違いを軽率に言いふらすようなことをしません。私的な場でも公の場でも、夫を批判したりけなしたりして夫の威厳を傷つけるようなことをしません」。(「永遠の命に導く知識」)

 では、非信者の夫が反対者である場合はどうでしょうか。
 反対者が相手だと、エホバの証人の妻は態度を翻して夫にさえ敵対するのでしょうか。


結婚しながら、その理由を事務を持っている人

「未信者の夫、時には反対者の夫を持つクリスチャンの姉妹は少なくありません。そういう状況の場合、聖書の諭しは無効になりますか。いいえ、「み言葉に従順でない者がいるとしても」、服従と敬意は要求されています。では、反対者の夫を持つクリスチャンの妻が王国会館に来て夫の話をし、自分が夫から受けたひどい仕打ちを洗いざらい会衆の大勢の姉妹たちに話すとしたら、それは深い敬意のしるしでしょうか。その妻が会衆内の兄弟か姉妹に関してそのような話をするとしたら、それは何と呼ばれるでしょうか。うわさ話です。中傷とも言えるかもしれません。ですから、妻が自分の未信者の夫の悪口を言うのは、深い敬意を示す� �拠ではありません」。(「ものみの塔」誌1989年5月15日号)

「真理をきらい、妻の行なうエホバの崇拝をきらう夫ならば、夫を敬えといっても無理な話だという人があるかも知れません。もちろん神に反対する考えや、神をけがす言葉、きたないことばを尊敬することはできません。しかしたとえこのような事情の下においても、夫が当然に占めるかしらの地位を尊敬することによって、エホバの定めに少しでも逆らうような行いを避けることができます。たとえば、どんな夫であっても、婦人は他の人の前で夫をけなすべきではないでしょう」。(「ものみの塔」誌1963年7月15日号)

 さらに夫の状況が悪い場合についてはどうでしょうか。


彼はセクシーな感じの作り方

「非常に気難しい、あるいは乱暴な夫を持つ婦人は、イエスの手本を見て慰めを得ることができます。イエスは、不当な苦しみを受けたときにどうすべきかを私たちに教える手本を残しました。ペテロはイエスのことを次のように書いています、「ののしられても、ののしりをかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた」。そこで不当な仕打ちに耐えなければならない妻も、クリスチャンの僕に命ぜられていること、またイエスのなさった事を行ない、いっさいをエホバにゆだねることができます。この忠実な行いはやがてエホバから報いられるでしょう。
神のみ心と良心を考慮しなけれ� �なりません。それでたとえ夫が頑固であり、献身したクリスチャンとしての妻の立場に真向うから反対しても、忠実な婦人の奉仕者はエホバのみ心を行なうことを誓った自分の献身を常に固く守ります。それと同時に、エホバの定めに従って夫に対する妻としての自分の立場をも忠実に守ろうとするでしょう。それが時には非常に困難でも、彼女はそうします」。
(「ものみの塔」誌1963年7月15日号)

 「ものみの塔」誌1969年6月1日号は、さらに具体的な領域に踏み込んで証人たちを教えています。

「読者からの質問 ― 聖書がクリスチャンの妻に対し自分の夫を愛し尊敬するようにと命じていることを知っていますが、わたしの夫ははっきり言ってのんだくれです。そのような人をどうして愛し尊敬することができるでしょうか。
[答] 聖書はエホバが泥酔を是認されないことを明らかにしています。しかし、このことばは妻に対し自分の夫を憎むように命ずるものではありません。妻は悪癖とその結果とを憎んでも、自分の夫を憎むべきではありません。妻自身は自分の夫を愛し、その悪癖から離れるのを助けることに努力すべきです。
夫は家庭内において神からゆだねられた責任の地位にあり、神のご要求に十分に従っていない場合でもこれは変わりません。妻はたとえ夫の行状すべてを是認できない場合でも、夫としての地位に対して敬意をもつべきです。妻は家庭における夫の任務もしくは地位のゆえに、自分の夫への敬意を深めるべき努力することができるのです」。


 また、エホバの証人の出版物は、非信者の夫が妻の宗教活動に制限を設ける権利をも認めています。

「崇拝の点で自分と一致していない不信者の夫を持つ妻の立場はどうですか。夫が真理にはいっていないからと言って、妻がかしらの地位を行使することはできません。むしろ妻は妻として服従しなければならず、職業、居住する場所、生活水準などに関して、夫の決定に従わなければなりません。たとえ夫の反対が時に激しくなり、献身した妻の神権的な交わりや奉仕をやめさせるように仕向けても、夫に対する妻の通常の務めをはたさなければなりません。家事をはたし、食事をととのえ、できるかぎり夫のために尽くさなければなりません。
夫が家から家の宣教奉仕に反対するとき、どうすべきですか、例えば日曜日には夫が家にいて、妻の野外奉仕を禁ずる場合、あるいは二人一緒にどこかで過ごすことをきめる場合� ��どうしますか。妻は奉仕の計画を変えて、家族の意向と衝突しないときに奉仕をするのが賢明でしょう。これはエホバに対して不忠実になることではありません」。
(「ものみの塔」誌1962年8月1日号)

 子供たちの従順についてはどうでしょうか。
 エホバの証人と対立するキリスト教諸教派は、エホバの証人の妻の、非信者の夫に対する不従順はその子供たちにも及ぶと宣伝しています。

「不信者の夫を持つクリスチャンの妻は、父親が真理を悟らないからといって、子供たちを父親から離反させないように注意しなければなりません。なぜ妻はこれらの障害物に忍耐し、巧みに頭を働かせ、一見遠回りとも見える方法で忠実を守る道を切り開いてゆかねばなりませんか。それは妻に服従を命ずる(聖書の)原則に従うためです。それはエホバの御言葉と律法に忠実を示す道です」。(「ものみの塔」誌1962年8月1日号)


 このようにして子供を教える点で、エホバの証人の統治体はどのような手本を示しているでしょうか。
 「目ざめよ!」誌2000年11月22日号に掲載された子供向けの記事は、エホバの証人の家庭問題の極みとも言える事例を紹介しています。
 ロバートという少年の父親は、かつてはエホバの証人でしたが、やがてエホバの証人をやめてしまい、ついには妻を離婚して家を出ていきました。
 これほどひどい場合なら、エホバの証人の子供は父親を憎み、離反してもよいのでしょうか。
 記事はこのように述べています。

「ロバートは次のように説明します。「お父さんはクリスチャンの集会にだんだん行かなくなりました。それから、職を失い、しばらくすると母と妹を口汚くののしるようになりました」。そのうちに状況が悪化して、とうとうロバートの父親と母親は離婚しました。父親が犯した失敗を考えれば、ロバートが憎しみに駆られてもおかしくはありませんでした。しかし、父親の立場をよく洞察し、怒りを静めることができました。
あなたも状況が許すなら、普通の親子のきずなを保つよう努力したいと思うかもしれません。確かにお父さんは、あなたやお母さんを傷つけたかもしれません。しかし、お父さんの悪い行ないをたとえ知っていても、お父さんがあなたの父親であることには変わりありません」。



These are our most popular posts:

私と妻と子どもたちは「扶養親族」になれるでしょうか。 - 税金 - 教えて!goo

2010年2月21日 ... さて、母の確定申告において私と妻と子どもたちは「扶養親族」になれるでしょうか。 質問番号:5693658. 通報する. この質問への回答は締め切られました。 ... 3. 他の者の 控除対象扶養者や配偶者、また事業専従者になっていないこと。 read more

エホバの証人の夫たち

というのも、聖書は、結婚を取り決めたのは神であり、結婚した者は「一体になる」と述べ ているからです。 そして、結婚した夫婦から生まれる子供たちは、同じく神の取り決めで ある家庭の一部を構成しています。 ですから、神はこのような関係にある者たちを ... read more

非配偶者間人工授精の現状に関する調査研究会(DI研究会) * 日本の ...

それゆえ、AIDを受けた夫婦は自分たち親子の生活を守るために、兄弟姉妹や親友、 両親にすら自分たちのAIDについて多くを話すことはありませんでした。 ... 非配偶者間 人工授精と精子提供』に関する見解」では、AIDの対象夫婦を、「本法以外の医療行為 によってよっては、妊娠の見こみがない ... これらの夫婦は不妊治療の最終選択として、 子どもを持たないで2人で生きる方法、養親になる方法、そしてAIDで親になる方法 について ... read more

相続人の調査・確定方法

①の夫婦間に子供がいて、その子供が生きている場合、彼らも当然に相続人になります 。この場合、①のように配偶者(子供たちにとっては片方の親)がまだ生きていれば、 相続分の割合は、配偶者が2分の1、残りを子供の数で均等割りすることになります。 read more

Related Posts



0 コメント:

コメントを投稿